うつヌケ芸能人に学べ!
芸能人だって「うつ」になる!
人間だもの!
芸能人のうつ克服体験について、私の読書経験とうつ克服経験をもとに考察していきます。
絶望の克服方法は、あなたの好きな芸能人からも学べ!
目次
はじめに
岡村隆史さんや武田鉄矢さん、そして丸岡いずみさんなど、優秀な芸能人でもうつになります。
華やかな世界で、お金もたくさん稼いでいて、人気者の芸能人にも絶望気分になるほどの苦労があるんですね。
当たり前ですが。
世間の注目や、食うか食われるかの強力なプレッシャーから解放されて、
いわゆる「うつヌケ」できた芸能人に、うつ脱出方法を学んでみませんか?
テレビやインターネットの情報、そして読書からの情報をもとに、
私なりに芸能人がどのようにうつ(パニックも含む)を克服したか考察していきます。
※あくまで私、個人的な考察です。
芸能人のうつ克服体験に学べ!
岡村隆史
岡村隆史さんのうつ
2010年に、突然の不眠やパニック、落ち込みなどの壮絶な精神状態で5ヶ月にわたる休職生活を送った岡村隆史さんは、どのようにうつを克服したのでしょうか。
岡村さんといえば、お笑いコンビナイティナインでかなり明るく、強気でかつ努力家の印象です。
メンタルが弱いと言うイメージは、私の中ではほとんどなくどちらかと言うとメンタルが強い人の分類に入ると思います。
だからこそ自分は人を笑わせて当然、俺は努力をすれば何でもできる。と言う思いがありどんどん自分を追い込むことができたのだと思います。
笑いセンスはもちろん、SMAPやEXILEと一緒にプロ並みのダンスを踊ったり、サッカーや柔道も、とことん追い込む多彩な能力の持ち主です。
そんな岡村さんも40代になって、人生最大の壁にぶち当たりました。
それが2010年の5カ月間の休養生活。
入院するほど症状が悪く、自分の母親の手を握っていないと夜も眠れないほど変わり果てた姿になったそうです。
復帰後に出演していた「解決ナイナイアンサー」と言う番組で自身のうつについて語っておられました。
その話の中で克服の鍵が語られています。
うつ克服のきっかけ→「スベってもええんかな」と思えるようになったこと
岡村さんは真面目で、野心家で、人を喜ばせたいと言う気持ちがあまりにも強く、ギャグを放ってスベってしまうことに対して極度の責任を感じていたようです。
それが克服後のコメントに現れております。
「それまではスベると自分を責めていたのが、良い意味で背負い込むことがなくなった。自分だけが悪いんじゃないと思えるようになった」
岡村さんは滑るたびに、強い責任感から自分をひどく責めていたようです。
自分を自分で責めるということは、実はこれほど人生で辛い事はないというくらい悲惨なものです。
うつになって精神的にどん底に追い込まれることを通して、自分で自分を責めるということがいかに間違っていることなのか本能的に岡村さんは気づいたことでしょう。
そこから状態が重くなるのはなくなったそうです。
これは私自身も病気になって同じ経験をしました。
そもそもすべての物事というのは、自分1人の責任である事はほとんどありません。
だから岡村さんがギャグでスベったのは自分1人が悪いのではないと思える事はとても重要なことです。
考察:「イラッショナル・ビリーフ」への気づき
岡村さんがうつになっていく過程で、「イラッショナル・ビリーフ」が働いたものだと考えられます。
イラッショナル・ビリーフとは、臨床心理学者のアルバート・エリスの提唱した言葉で、「非合理的な信念」のことです。
ざっくりわかりやすく言うと「間違った思い込み」という意味です。
例えば、何の根拠もないのに事実だと思い込む。
また物事を0か100か両極端にしか判断できない。
一部のことを、全てだと思い込んでしまう。
これらは全てイラッショナルビリーフです。
岡村さんの場合ギャグを放ってスベったら、全て自分の責任であり、非常に罪深いことだと考えていたのでしょう。
もしくは、「お笑い芸人失格」「芸能人失格」「テレビに映る資格なし」と思っていたのかもしれません。
でもそうでないということに気づいたことが、うつ克服の大きなきっかけになったと思います。
実際にナイティンナインが冠番組として出ている番組の中で、岡村隆史という存在はかなり大きいものでした。
岡村さん一人で引っ張ってきたという見方もできることです。
しかし「1人でがんばらなければいけない」という思いこそ、間違いなのかもしれません。
実際に、
「一人で頑張らんでもええねんかな」
「スベったのは俺だけのせいじゃない」
ということも克服後に言っていました。
今までの功績からしても、あれほど人を笑わせている人間が少しのミスでうつになるほど甚大な責任を感じるという事は、
まさにイラッショナル・ビリーフです。
ブログを読んでくれている人の中で、責任ある立場についている人はいませんか?
それで生きるのが辛くなっている人はいませんか?
そんな人は岡村隆史のうつ克服体験に学んでみてください。
岡村隆史のうつ克服経験から教わるべき事は、まさにイラッショナル・ビリーフ(間違った思い込み)に気づくことの大切さだと思います。
【思い込みについて、知りたい人はコチラ↓】
>>思い込みでうつになる?!~デタラメな事実に人生を惑わされていませんか?~
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武田鉄矢
武田鉄矢さんのうつ
『3年B組 金八先生』や、『101回目のプロポーズ』で有名な武田鉄矢さんですが、実は約20年間うつに苦しんでいたとのことです。
海援隊で成功して、一躍日本のトップスターになったわけですが、多忙に多忙を重ねた1991年頃、『101回目のプロポーズ』の時期からうつ状態になったとのことです。
確かに忙しいと自分の時間が持てず、ふと我に帰って自分の人生を見つめ直す時間が全くなくなってしまいます。
自己洞察の時間がまったくない生活と言うのは、充実しているようでも自分を見失いがちです。
充実しているのだけど、生きる目標がない。生きてて辛い。人生を終わらせてしまいたい。一見矛盾しているようですが、そのような事はよくあることでしょう。
ミドルエイジ・クライシスの症状の1種ではないでしょうか。
また武田鉄矢さんは2011年に大動脈弁狭窄症を患っており、そこで老いゆく自分を受け入れられず、恐怖感に悩んだといいます。
そんな追い詰められてどん底に陥った時に、ある言葉に救われたといいます。
うつ克服のきっかけ→ 心理学者ユングの言葉である種の悟りを得た
武田鉄矢さんを打つから作った言葉は、心理学の巨匠、ユングの言葉でした。
「人生は山登りに似ている。山に登った限りは降りなければなりません。
山に登ったと言う事は、登って降りたと言うことです。
登りっぱなしのことを遭難といいます(ユング)」
武田鉄矢さんは若い頃に、日本中の人に知られようと努力して行動し続けてきましたが、人生の曲り角に差し掛かった時に、
今度は逆の努力をしなければならないということに気付いたようです。
それは、日本中の人から知られなくなるという努力です。
つまり、山を降りる作業です。
この山を降りる作業の大切さを知らないと、山の中を彷徨続けて遭難してしまいます。
つまり人生で例えるなら、不可能な目標を達成しようともがき続けて失敗すること。
もしくは人生の目標、生きる目標を失って、人生を終わらせたくなってしまうことでしょう。
考察:山も人生も登っておりて視野が広がる
そもそも人間はがんばり続ける事はできません。正確には同じやり方でがんばり続けることができないのです。
例えば、あなたが中学生の時に頑張っていたやり方を、大人になってやってしまうと体は破綻してしまいます。
ある程度人間的にも、社会的地位としても、収入的にも成長してしまったら、失うことがたくさんあるので、物事に対して色々と慎重になりすぎてしまいます。
忙しい時期にうつになってしまう事は、それだけ何をやるにしても慎重になりすぎること、恐怖を感じすぎる事といえます。
しかし物の見方を変えれば、慎重になりすぎてしまう位、高い位置にまで成長できたからそのように感じることができるのです。
足元が震えてしまう事は、それだけ高いところに登ってしまったからということなのですね。
決して悪いことではありません。
高い山に登りきったら、今度は上手な降り方を練習して、山全体を見渡す心の広さを身に付けることです。
そうすれば世の中に対して、また自分自身に対しての洞察力が身に付いているはずです。
武田鉄矢さんのうつ克服体験は、このようなことを教えてくれているのだと思えて仕方がありません。
【人生の下り方がわからない人はコチラ↓】
>>中高年のうつ病におすすめ本 ~読書で”ミドルエイジ・クライシス”を乗り越えよう!~
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丸岡いずみ
丸岡いずみさんのうつ
日本テレビのキャスターとして、ミヤネ屋にも出ていた、丸岡いずみさんは2011年の東日本大震災の取材後に、不眠や下痢、湿疹が出るなどの症状が出てそこからうつ状態になっていきました。
珍しいタイプのうつで、最初は気分が落ち込むといった精神症状はなかったそうです。
うつは身体に症状が出るタイプもあるので、まさか自分がうつ病だとは思わなかったそうです。
丸岡さんは、頑なに精神安定剤や、抗うつ薬を飲むことを拒否していました。
そこで症状が悪くなり、自殺念慮などの辛い症状にもつながっていったそうです。
かつて「奇跡の38歳」と言われていた、エリートキャスターはどのように、辛いうつを克服していったのでしょう?
うつ克服のきっかけ→周りの人のやさしさと、薬を飲むことで解快方に向かった
以前に丸岡さんがうつ克服後に、テレビ出演の中で壮絶なうつ克服体験を語っていました。
そんな中でも徐々に症状が進んでいき、家族に対しての不信感も語られていました。
これは丸岡さんの家族が悪いというわけでなく、症状により「自分の母親に殺される」という妄想のような思考が湧き上がってきたのです。
また東日本大震災に報道キャスターとして、関わっていたので、「人の不幸を報道してきたことに対する報いである」とまで考え込んでしまったようです。
この自責の念は、うつになった経験がある人なら分かるかもしれませんが地獄のように辛いものです。
それでも両親は精神疾患に対する理解があり、丸岡さんは助けられました。
特に丸岡さんのお父さんが言ってくれた
「休むことも生きること」
という言葉は丸岡さんをどれだけ救ってくれたでしょう。
また心ある周りの人からの勧めで、それまで拒絶していた薬を飲んだことにより、約2週間で症状が改善していったそうです。
考察:周囲の病気に対する理解と、薬に対しての過剰な思い込みへの気づき
丸岡さんのうつ克服のきっかけは、薬に対する間違った思い込み、そこからくる過剰な恐怖心に気づくことでした。
薬への恐怖の克服を後押ししたのが、家族や恋人など周りの人の思いやりと信頼関係だと思います。
丸岡さんは、
「うつになった事は恥ずかしい」
と当初思い込んでいたと語っていました。
そんな時に当時恋人であり、今の旦那さんである有村昆さんから、
「誰でもなる病気だよ」
と言われて、かなりほっとしたことでしょう。
「1人じゃない」と思えることだけでも心強く、
またその周囲の人に対しての”信頼関係”も生まれることだと思います。
丸岡さんがなかなか薬を飲まなかった要因は、向精神薬や、抗うつ薬に対する”ちょっとした知識”でした。
以前に「認知行動療法」を少し学んでいたことがあり、薬に頼らなくてもうつ症状を改善する手段がある。ということを知っていたそうです。
もしかしたらその中で薬に関することでネガティブな知識を得たのかもしれません。
実際に、
「精神安定薬や抗うつ薬を飲むと、人格まで変わってしまうのでは?という思い込みがありました」
と語っています。
実は私自身にも、これはとても耳が痛い話で、うつになりかけた時に処方された薬を少し飲んで、副作用が辛くて数回で飲むのをやめてしまいました。
薬自体が、肝臓をはじめとする内臓に負担をかけて、また太って醜い体になってしまう。
そして飲んだからって治るわけじゃない。
という偏った思い込みがあり、まともに抗うつ薬を飲み始めたのは、精神科に通い始めてから半年後のことでした。
だから丸岡いずみさんが、薬を過剰に恐れていた気持ちは痛いほどわかります。
実際にそのような過剰な思い込みというのは、うつ状態になると助長されるような気がします。
つまりちょっとした思い込みが極端な思い込みにまで発展して、自分一人は正しい判断ができなくなる、というのが私の経験から言えることです。
ちょっとした軽度のうつで薬漬けになるのはあまり良くないかもしれませんが、症状が強く出ているときは別です。
気分の落ち込みが続いたり、眠れない日が何日も続くようであれば、医師の処方に従ってすぐに薬を飲むべきです。
症状がある程度なくなってから、
「薬に頼らなくてもいい生活」
を改めて構築していければいいと思います。
周囲の優しさへの感謝と、薬に対しての思い込みに気づくことを丸岡さんのうつ克服体験から学ぶことができます。
【でも、、「薬が効かない」「理解者がいない」と感じてる人へ↓】
堂本剛
堂本剛さんのパニック障害
KinKi Kidsの堂本剛さんですが、パニック障害や、突発性難聴などの、ストレス性の障害を抱えている事はテレビなどで知られています。
CDデビューしてしばらく忙しい生活を送ってから、まさにKinKi Kidsの全盛期ごろから心の不調を抱えていたとのこと。
約5年間「死にたいのに死ねない…」と言う毎日を送っていたそうです。
KinKi Kidsの全盛期と言えば、私が高校生の頃で『LOVE LOVE 愛してる』という番組をやっていて、まさに堂本剛さんなんか明るくて面白いキャラにしか見えませんでした。
そして歌もうまくて、かっこいい誰もが羨む存在だと思いました。
そんな大スターにも、大きな影の部分があるとは…。
ちょうど私はKinKi Kidsと同世代の人間なので、過呼吸や、「死にたいけど死ねない」という気持ちをどのように克服したのか気になるところです。
パニック克服のきっかけ→「音楽」に救われた
堂本剛さんが回復のきっかけになったのは、堂本光一さんの支えが大きかったようです。
しかし、もう一つ注目したいのが、「音楽がなかったら、今の自分はなかった」という発言です。
2000年代の初め頃、ちょうど堂本剛さんもパニック障害が落ち着き始めたあたりより、ソロ活動を開始しました。
それが精神的不調を大きく改善させるきっかけになったようです。
音楽を自分の好きな形で表現することにより、剛さんの自分の表現する場所が生まれ、それが新たな生きがいになったと推測します。
また自分の病気を音楽を通して伝えることができたのも大きな「貢献感」につながったのだと思われます。
自分の辛い経験を、何らかの形で世に伝える事は、当事者にとっても大きな心の癒しになります。
そのことを芸術に乗せて伝えるという事は、まさに堂本剛さんがアーティストしての感性を持っているから出来たことでしょう。
考察:「創造価値」への気づき、「芸術」に触れての癒し
堂本剛さんが、辛い症状を克服できたのは、ヴィクトール・フランクルが提唱する
「創造価値」
が働いたことだと推測できます。
私がこのウェブサイトを継続できているのも、「創造価値」を感じられているからです。
まさにそこから原動力を得ています。
創造価値とは、何もないところから自分自身が新しい価値を作っていくとき、そこに感じられる生きがいのことです。
またその作られた価値、作品というのは人の役に立つもの、人を救うものだったりします。
自分の天命を全うすることと言っても良いでしょう。
堂本剛さんが、自分のオリジナルの表現で、伝えたい言葉を音楽に乗せて発信すること、
それによって多くのファンが救われていること、これはまさに大きな「社会貢献」だと思います。
堂本剛さんが10代から苦しんだ辛い経験というのは、いずれ世の中にとって必要になるものだったのです。
剛さんにとって成し遂げられる音楽は、いつか誰かが待っているものでした。
人が生きる意味を見失なっている時、
精神科医のヴィクトール・フランクルは、このように考えるといいと言っています。
「自らが生きる意味を問いかけるのではなく、人間は常に人生から問いかけている」
「人はその人生からの問いかけに、全力で答えなければならない」
そして、絶望している人にはこのように言葉をかけるでしょう。
「あなたのことを必要としている誰か、あなたのことを必要としている何かが、この世界にはあるはずです。その誰かや何かに目を向けましょう」
まさに堂本剛さんは、死にたいという気持ちを乗り越えて、人生からの問いかけに必死で答え続けたのでしょう。
実際堂本剛さんの歌を待っている人は、たくさんいましたね。
また、堂本剛さんと言えば、繊細なイメージですが、実はその繊細さがあるからこそ、素晴らしい芸術、音楽を世に発信することができ、人を感動させることができます。
またフランクルの収容所生活の体験では、過酷な状況を生き抜くには、一見ポジティブな心を持つ人よりは、繊細な心の人の方が有利だったそうです。
堂本剛さんの、パニック症状克服体験から得る事は、人生からの問いかけ(使命)に応え続けることの大切さではないでしょうか?
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高島忠夫
高島忠夫さんのうつ
『ゴールデン洋画劇場』の司会やバブル時代の人気クイズ番組『クイズ年の差なんて』の”イエーイ!おじさん”として明るいキャラで知られている高島忠夫さん、1998年に、レギュラー番組の終了や、極度の疲労、プレッシャーからうつになりました。
高島さんの著書『うつへの復讐』には壮絶な闘病の記録が記されています。
ストレスでの不眠、暴飲暴食、糖尿病など様々な健康不安を抱えながら、自分の闘病体験を世に知らせるため書かれた魂の1冊です。
すべて読みましたが、
人生において何が最も大切なのか?
ということを考えさせる本でした。
ぜひうつ病経験者は読んでみてください。
では高島忠雄さんの、うつ克服の転機は何だったのでしょうか?
うつ克服のきっかけ→死が迫った若者の生き様を見た
闘病記にも記されていましたが、高島さんのうつ克服のきっかけは、たまたま自宅でテレビを見ていた時に起こりました。
そのテレビでやっていた内容とは、あるアイスホッケーチームのゼネラルマネージャーの話でした。
実はこのゼネラルマネジャーは、末期ガンで余命一年と宣告されているようです。
テレビでやっていたゼネラルマネージャーに対するインタビューの内容が以下の通りです。
ぼくのがんは、かなり手ごわい相手です。
選ぶ道はふたつある。
闘病生活に入るか、ふつうの生活を送りながら死を待つか。
ぼくには愛するチームのためにやりたいことがたくさんあります。
余命一年だが、命つきるまで通常生活をしながら活動する道を選んだ。
この選択に後悔はありません
引用:『うつへの復讐』高島忠夫
自分より若く壮絶な環境におかれた、このゼネラルマネージャーの発言を聞いて、
高島さんは芸能界に再起すると誓うのでした。
考察:「態度価値」の実現
人は”死”をありありと意識することで、自分の使命に気づくことがあります。
「明日死ぬかのようにして生きよ」
とガンジーやスティーブ・ジョブズが言うように、自分の命が有限であることを本当の意味で実感したときには、”本質的な生き方”が何なのか考えるようになります。
そして本質的な生き方をするようになるのでしょう。
高島さんも、自分より若い余命宣告されたでねなるマネージャーの発言を聞いて、
「他人ではない自分を生きよう」
と思えたそうです。
余命1年と宣告されても、建設的な態度をとる若者。
命尽きるまで、チームのために貢献する若者の生き様は、まさに態度価値を実現させている生き方です。
変えられない運命に直面して、どのような態度を取るのか?
これによって実現される価値が「態度価値」と精神科医のヴィクトール・フランクルは提唱しています。
アウシュビッツなどの劣悪な収容所生活の中でも、この「態度価値」だけは誰にも奪えない人間に残された最後の生きる価値なのです。
高島さんもうつになって、休んでいる自分という変えられない事実を受け入れて、前向きな態度をとっていく選択をしました。
高島さんも「態度価値」を実現したのです。
その結果、精神疾患に対する啓発活動や、執筆活動、そして再度テレビ出演することを実現させることができました。
常に「態度価値」を実現しながら生きるような生き方は、あらゆる局面において強靭な精神力を発揮する礎になるでしょう。
高島忠夫さんのうつ克服経験から、学ぶことは、変えられない運命に対してどのような態度を取るか?
ということではないでしょうか。
【”生き様”についての記事はコチラ↓】
>>高島忠夫の生き様 ~死を意識してうつを乗り超えた人生訓~
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千葉麗子
千葉麗子さんのうつ
90年代に一世を風靡した人気ドラマ『ひとつ屋根の下』にも出演したり、多方面で活躍していた、かつての電脳アイドル千葉麗子さんも、長男出産後に、うつ病患いました。
もともとヨガインストラクターになるほど、自分に対してストイックで、体型を維持するために厳しい食事制限をしていたことが推測できます。
うつになるきっかけは、摂食障害にあったと言われています。
また子供ができて環境が変わったことや、生真面目さが災いしたのもあるかもしれません。
ヨガインストラクターや、実業家としても精力的に活躍している千葉麗子さんはどのようにうつを克服したのでしょう?
うつ克服のきっかけ→「うつ友」などの理解者の存在に癒された
千葉麗子さんのうつ克服の転機となったのは、夫に助けを求めた事だそうです。
またそれ以上に同じうつになった人の友達、いわゆる「うつ友」の存在が大きかったこのこと。
実際に『ポジうつ!―「うつ友達」がいれば、ポジティブに生きられる! Yes、we can!』という本まで執筆されています。
自分と同じ境遇の存在が身近にいること、自分が「1人ではない」ということを実感するだけで、どれだけ心強かったことでしょう。
実は人は、そのような状態になって、その先に始めて深い人間関係が築けるといわれています。
考察:一人じゃない事への気づき、”共同体感覚”の大切さ
単純明快な理屈ですが、うつになると、うつになった人の心が理解できるようになります。
うつ病になると、、
毎日地獄のような得体の知れない気分になります。
私の場合、ボクシングのボディーブローを24時間受け続けているような気分になりました。
そして自分のことをわかってくれる人なんて、1人もいないという絶対的な自信がありました。
とにかく孤独でした。
しかしそんな時に、
「実は私も同じ経験をしたから、その気持ちはとてもわかる」
と言ってくれる友達が現れたらどうでしょう?
とても心が救われる気分になりませんか?
少なくとも、
「私はそんな病気なったことないから、気持ちはわからないけどね」
「まじっ?大変そうだね。まぁウジウジと暗いことばっかり考えてないで、前向きに生きなよ!」
と言われたりして、励ましてんだか傷つけてんだかわからない言葉をもらうよりも、よっぽど救われます。
うつ克服者、もしくは現在進行形でうつ病の人が、自分以外のうつの人に会ったときは、
その人の気持ちがリアルに理解することができます。
それだけでうつ病の人は、人の役に立っている気分になれるのです。
少なくとも自分の理解者に出会えたという事だけで、相手の心はかなり救われています。
お互いが「自分だけではない」ということを知り、
また「私はこの人の役に立てている」と感じることができます。
自分が病気になったことで、他者貢献できているという事は、言葉にできないほど、喜ばしいことです。
心理学の巨匠アルフレッド・アドラーは、
人が幸せになる上での絶対的な条件として「共同体感覚」なるものを唱えています。
つまり自分が社会(世の中、宇宙)の一員として貢献できているという感覚のことです。
特にうつで苦しんだ後なら、その感覚への喜びは非常に大きいものでしょう。
それは、うつになった者同士が経験した「孤独」という要素も大きく関係していると考えられます。
エッセイスト松浦弥太郎先生は著書「孤独を生きる言葉」の中で、
孤独を受け入れ、個とをして生きる人だけが同じように個として生きる誰かと、質の高いつながりを持つことができます。
孤独と言うのは、人が生きていく上での絶対条件といえるでしょう。
引用:『孤独を生きる言葉』 松浦弥太郎
つまりうつを経験して、その闘病の最中に味わった孤独というのが、人生の質を大きく向上させるということが言えるかもしれません。
【真の人間関係を築きたい人はコチラ↓】
おわりに
輝かしい生活の裏には、必ずと言っていいほど影があります。
その影のことを人は「黒歴史」と呼ぶかもしれません。
あまり良い言葉ではありませんが、
人はその黒歴史を経験してこそひとまわり大きな人間になります。
自分のこと、他人の事、世の中の事、物事全般のことを見渡す視力が養われるのです。
やはり芸能人たちが私たちと同じような病気になっていると知っただけで、不思議と勇気が湧いてきます。
それは「1人じゃないんだ」と実感できたことからです。
私がうつになったときに、同じ境遇を乗り越えて「めちゃイケ」に出ている元気な岡村さんの姿を見て、どれだけ励まされたか。
まだ病気の真っ最中だった私の目に映った、テレビの中の岡村隆史という男は、以前より眩しく、どこか大きな人間に感じました。
それを見た私は、
“黒歴史、上等!”
と、少しだけ思ったわけです。
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