羽生結弦の平昌オリンピック復活の金メダルから学ぶこと  〜絶望の時にはたらく力とは?〜

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羽生結弦選手が金メダル!国民に与えた勇気はとんでもないものでした! 
この”生き様”に学ばない手はありません!
うつを乗り切るヒントが隠されています!
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目次

羽生結弦選手は平昌オリンピックでなぜ復活できた?

 

羽生選手の平昌オリンピックでの感動の演技、そこには”学べる哲学”がある!

平昌オリンピックフィギアスケート男子ショートプログラム、フリーの羽生結弦の演技を見事でした。

圧巻で完璧な演技、そして文句なしのダントツの金メダル。

多くの日本国民が、この演技としてこの結果に感動したのではないでしょうか?

羽生選手が、この結果を出してここまで国民が感動したには当然ですが理由があります。

まさかの絶望的な怪我から、オリンピックでここまで完璧な演技ができるようになるとは、ほとんどの人が想像していなかったのではないでしょうか?

そしてこの復活ストーリーから学ぶことが、今現在メンタルで病んでる人の今後の生き方にとって、大切な道しるべになるのではないかと思います。

絶望的な状況から、それを受け入れること。

そして正しい行動を積み重ねること。

まさにこれらが、今の苦しんでいる人たちが、絶望的な状況を乗り切る大切な手段だと思います。

>>人間力が身に付く本3選! 〜人間力を高めれば、うつは勝手に消えていく〜

>>アランの幸福論でうつを撃退!~幸せになる”名言”と”哲学”がここに~

「もうダメか、、」と思われた羽生選手

羽生選手も、昨年11月NHK杯出場予定でしたが、9日の大阪中央体育館での公式練習で、不幸にも転倒した際に右足関節外側靭帯損傷との致命的な怪我を負ってしまいました。正式に欠場が決まり、

またその時点で、史上初の5連覇がかかっていたグランプリファイナル笑の出場を断念することとなりました。

12月の日本選手権への出場を目指して療養とリハビリに専念しましたが、骨や南部組織に炎症があるなど回復を阻害する要素があったため、治癒が遅れてしまいます。

ここでもまた練習を再開することができず、やむなく断念。12月18日日本スケート連盟が正式に欠場を発表しました。

それでも平昌オリンピックでは、逆算して回復が間に合う見込みがあるということ、

そして現在世界ランク1位であり、ISU 公認のシーズンベストスコアが宇野昌磨選手に次ぐ2番手であること、

また国民の人気や期待など思いの力が伝わったりもした思いますが、正式な規定に沿って平昌オリンピック代表に選出されました。

しかしこれ自体もギリギリの決断であり、

2月9日に開幕した平昌オリンピック団体戦への出場も

「完全回復になるまであと1週間を要する、、、」

とのブライアン・オーサーの判断により断念。

4ヶ月ぶりとなる復帰戦として、個人戦に挑戦したわけですが、(* 参考:羽生結弦 wikipedia

多くの国民が、

「羽生選手ならきっと大丈夫」

という期待の気持ちと、

「さすがに今回は無理だろ」

と諦める気持ちもあったのではないでしょうか。

しかし良い意味で羽生結弦選手は、我々の予想を裏切ってくれました。

いやいやそれどころか希望すら与えてくれましたね。

思わず胸が熱くなり、涙が出てきてしまいました(歳のせいかな)。

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羽生結弦選手が平昌オリンピック復活のためにやっていた”ある行動”

今回、羽生結弦選手が、人間的に大きな成長したことを見せてくれました。

それは11月に汚してしまったという絶望的な現実、この変えられない現実を直視して受け入れ、がんばり方を変えたというところです。

冷静になれない人であれば、ここで汚してでもテーピングでごまかして無理矢理出場したい!と監督に泣き付いて良い結果を残せなかったかもしれません。

何かのスポーツドラマなどによくありそうなシーンですが。

羽生選手は、滑れない状態でも、最後まであきらめず、滑れない状態でできることをひたすら毎日毎日やり続けたのです。

ショートプログラム直後の会見では、右足首を痛めた昨年の11月からの形を語っていました。

【羽生結弦選手 SP直後の会見より】

直後の会見では、右足首を痛めた昨年11月からの経緯を語った。

「トリプルアクセル(を跳べるようになったの)が3週前、4回転が2週間、2週半前だと記憶しています」。
氷に乗れない間は、頭の中で何度も自分の跳ぶ姿を思い描いた。
「2カ月間は無駄ではなかった。むしろ、たくさんのことを学べた」。
痛みが治れば、頭で描いたイメージを形にしていくだけ。五輪を見据え、ブランクを短期間で埋めた。

つまり氷の上に乗れないし、飛ぶ練習もできない中でも、頭の中で毎日何度も何度もイメージトレーニングをしていたということです。

そして12月終盤の時点で、ジャンプ抜きの氷上練習を再開できた状態にあると発表されました。
ジャンプは跳びたいけど我慢、きっとイメージイメージイメージの毎日です。

羽生結弦の「2か月間は無駄ではなかった」はハッタリじゃない!

羽生選手が、

「国民に感動を与えたい」

「勇気を与えたい」

「そのためには勝たなければいけない」

そんな思いがあるからこそ、極めて冷静な立場に立って、”小さな出来ること”という行動(イメージトレーニング)の積み重ねができたのでしょう。

そして最終的に「クリーンに滑れば、絶対に勝っている」自信がある。

この本物の自信につながったのです。

【羽生結弦選手 競技前(2月13日)のインタビューより】

「スケートができなかったのが2か月。スケートをしていたら、学ぶ機会がなかったかもしれないことがたくさんあった。できなかったからこそ、陸上でできたこともあり、考えることもあった。2か月は無駄ではなかった。たくさんのことを学べた」

引用:羽生結弦が記者会見「絶対に勝てる」YOMIURI ONLINE 平昌五輪2018

絶望をポジティブに変える力、「スケートをしていたら、学ぶ機会がなかった」と心から思えるような日々を過ごすこと。

その結果が2月16日、ショートプログラムの完璧な演技でした。

変えられない事実を受け入れて、目の前のやれることに潔く取り組む。

これぞまさに「絶望する能力」です。

絶望する能力

羽生結弦選手も経験した”現状を打破するために人は苦しむ”

こんにちは、人生に限界を感じているとき、生きることに自信が無くなったとき人は寝たきりになったり、何もやりたくなくなったり、自暴自棄になったりします。

その現状を何とか打開するために人はもがき苦しみ、その結果乗り越えて人生の糧にしていきます。

どんなに解決法が無さそうな問題でも、人は必ず克服することが出来ます。

克服して、人生を変えて自分らしい生き方をしている人たちは、ある種の能力を持っています。

それは羽生選手もそうですが、多かれ少なかれ誰でも持っている能力、意外な能力です。

それは”絶望する能力”。

精神科医の高橋和巳先生の提唱している能力です。

挫折を嫌というほど味わう、そして自分に問いかける

それは具体的には、

「このままいけば自分はダメになるという、八方ふさがりの状態を受け入れる能力」のこと。

羽生結弦選手もこの力がはたらいたのでしょう。

人生を全力で生きて、うつ病や神経症になった人も自分に絶望することがあるでしょう。

自分のやり方ではだめなのか?

今までの自分の常識ではだめなのか?

真面目に頑張るだけではだめなのか?

もういっそやめてしまおうか・・?

どーすればいいんだ?

そのように苦しんだ結果、今の自分の生き方ではいつか破たんすると自分で感じるようになる。

つまり、

”ただ真面目に頑張るという、今までの自分のやり方ではダメなんだ”

ということを受け入れること。

それが、いま変えられない現実に苦しんでいる人や、うつ病になった人たちにとっての絶望する能力。

それを持つと、やっと人は本気で変わろうと動き出します。

>>繊細な人こそ、いざという時強い!~”繊細な心”はあなたの武器だった~

>>高島忠夫の生き様 ~死を意識してうつを乗り超えた人生訓~

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苦しい作業、でもその先に金メダルが

ただその作業は”苦しい作業”にになります。

羽生結弦選手もただ氷上で練習するというやり方ではダメ、というか出来ない、

だから違うやり方で道を切り開かなければいけませんでした。

その過程で相当苦悩したと思われます。

今の自分、今までの生き方を修正していく作業。

つまり今までの自分を否定する作業でもあるからです。

20年生きた人は20年分、40年生きた人は40年分の作業。

きっと途中で苦しくなる時があるでしょう。

休憩しないとやってられないこともあるでしょう。

それに耐えるには心のタフさが必要になります。

でも、

今の自分の悲惨さを徹底的に受け入れることが出来る人は、

本当に人生に革命を起こせる人、 行動できる人です。

いつかは、とんでもないことをやり遂げられるでしょう。

だから”絶望する”ことは、とてつもない一つの能力なのです。

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おわりに ~羽生結弦の”絶望する能力”はあの時から~

羽生選手は一度スケート人生にピリオドを打とうと思ったときがあります。
それはあの地震の時です。
羽生結弦選手は、2011年の東日本大震災発生時には、仙台市の「アイスリンク仙台」という場所で練習中でした。

スケート靴を履いたまま避難して、羽生選手本人や家族コーチやリンクの仲間は無事でしたが、練習の基盤であるリンクは被災して営業中止を余儀なくされました。

羽生結弦選手の自宅も大きな被害を受けたため、避難所で四日間過ごすと言う経験もしています。

大勢の被災者が避難所で生活している中、

「自分はスケートなんか続けていてもいいのだろうか?」

と疑問を抱いて、葛藤する日々を送っていたようです。

なんとあの羽生選手が、

「スケートを辞めてしまおうか、、、」

とまで悩んだようです。

そんな時、羽生選手が在学する東北高校の野球部が避難所でボランティアをしながら、春の選抜甲子園に出場しました。

同じ高校の仲間が甲子園の初戦を全力で戦っている姿をテレビで見て、スケートに対する意欲を取り戻したようです。

仲間が出来ることをやっている!行動している!

羽生選手の、絶望する能力、小さなできること探しえの能力はこの時から養われていたのかもしれません。

練習の拠点を神奈川にうつしたり、復興支援目的のアイススケートショーへ多数出演して全国各地を回って練習を続けたそうです。

とにかく自分ができることを、何でも思い描いて行動すること。

それでもダメだったら、さらに規模を小さくして「できること」をとにかく行うこと。

大きなことでなくていい、目の前に転がっている「できること」への積み重ねが本当に大切なのです。

変えられない現実を受け入れて、地味で小さな行動でもいいから、今やれることをしっかりやった人だけが、とんでもないところに行けたり、

とんでもない見返りが得られたりすると今回の羽生選手の演技をみて学んだような気がします。

羽生選手、平昌五輪金メダルおめでとう!そしてありがとう!

挫折が宝になる。それが絶望する能力。

皆さんも”絶望する能力”を磨いてみませんか?

ではでは、ありがとうございました。

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