なぜ誰かのために生きる?”他人”のためではなく”自分”のために生きるべき3つの理由

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自分のために生きる? or 人のために生きる?

この記事では”人のために生きること”について考えていきたいと思います。

結論から言ってしまうと、、

”人のために生きること”に対して、人生の意味を求めてはいけないし、人生の目的に据えてはいけない、と私は考えています。

心を強くして幸せに生きるために、この考えは大切だと考えています。

どういうことでしょう?

興味のある方は続きを読んでください。

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はじめに ~何のために生きる?~

みなさんは”生きる目的”を考えたことはありますか?

もしくは”自分が生きる意味”を考えたことはありますか?

私は常々考えるようにしています。

こういうことを考えるのは心が病んでいる人と思われがちですが、元気な人も落ち込んでる人も考えた方が良いと私は思います。

確かに心が疲れた時、

「こんな辛いしんどい思いまでして、なぜ生きなければいけないのか?」

なんてことを考えやすくなってしまいます。

そういう時はその気持ちと、とことん向き合うことが必要です。

でも逆に、人生がうまくいっていて、心も元気な時はどうでしょう?

あまり考えないですよね。

でも元気な時、落ち込んでる時に関係なく、常に生きる意味や目的を問いかけることは、

今後の充実した人生につながります。

そして何かトラブルが起きて人生に迷いが生じた時にも、

自分の信念が固まっていることで、無駄にエネルギーを使わずに問題解決できる人になれます。

【心に哲学を!おすすめ記事はコチラ↓】

>>死ぬ前に後悔しない生き方とは? ~「最後にもう一度海を見たい」から学ぶ人生論~

>>ストレスには勝てない!~ブッダのたった1つの悟り~

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自分のために生きるべき!そのたった3つの理由。

理由①”人は自分が幸せになる義務がある!”

世界の3大幸福論の1つである「アランの幸福論」では、“人は幸せになる義務がある"と考えられています。

それは"自分自身が幸せであること"そこが1番大切であると言うことです。
どういうことでしょうか?

哲学者アランは「人間が人間にできる最大の贈り物は上機嫌である」と言っています。

いつも不幸な顔をしている人、いつも人の悪口を言っている人と一緒にいると、

その時は少し楽しいかもしれませんが、ずっといるとしんどくないですか?

そうなんです、不幸な人と一緒にいると共鳴して自分まで不幸になります。

逆にいつも笑っている人、人の良いところにたくさん気づける人と一緒にいると、

こちらまで幸せな気分になります。

だから、人は自分自身が幸せになる義務があるのです。

これは自分のために生きることの大前提です。

理由②”人のために生きること自体、人のためにならない”

心理学者アドラーは、人が悩み苦しむことなく生きるためには、「課題の分離」が大切だと言っています。

どういうことでしょうか?

「自分の事は後回しにして、誰かの為に生きる」これは一見聞こえが良いですが、実はこの考えは、「課題の分離」と正反対の考え方です。

例えば小さな子供が、自分の靴ひもを自分で結ぶことができず困っている。

そこで親が結んであげてしまう。

その状況で、最終的に困るのは誰でしょう?

靴ひもが結べないままの子供ですよね。

そして次に、あなたの職場の同僚が、自分はパソコンが苦手だと言って、パソコンに関する業務を全部あなたにに押し付けてくる。

そしてあなた自身も困っている人は放って置けないと、代わりにやってしまう。

その状況で最終的に困るのは誰でしょうか?

パソコンが使えないままの、その同僚ですよね。

困ったことが起きたとき、何かの壁にぶち当たった時、「これは誰の課題なのか?」という視点を持ちましょう。

そして他人の課題に、踏み込んではいないか?

もしくは、

自分の課題に土足で踏み込まれていないか?

と今一度振り返ることが大切です。

つまるところ、

自分のことを後回しにして、

誰かの為に生きるという生き方が、

最終的に他人の課題に踏み込んでしまい、結果として自分も他人も不幸になる。

ということです。

だから人のために生きること自体、人のためにはならないのです。

理由③”人のために生きることで、憎しみが生まれる”

これは、他人の課題に踏み込むことにつながる話です。

人のために生きてきた結果、自分にも他人にも、憎しみが生まれることがあります。

どういうことでしょうか?

これは私の経験上ですが、、

「課題の分離」が理解できていない人、または実行できていない人の特徴は、

何かあったときに人のせいにする傾向があります(同時に自責の念も強くなります)。

例えばこんな感じです。

「あいつの予想通りに馬券を買ったら、外れて損してしまった、あの野郎…」

ありがちですが、でもこれならまだ、かわいい方です。

困ったのは次のタイプです。

「自分が社会に出てやっていけないのは、親に甘やかされて育ったからだ。だから親が悪い」

「親があの大学に行っあの会社に入れと言ったから、言うとおりにした。でも結局幸せになれなかった。これは親のせいだ!」

親が子供の課題に踏み込みすぎてしまった結果こうなったのです。

ある意味、本当に不幸な人生です。

こうなると認知を修正するのに、かなりの時間がかかるでしょう。

また「人のために生きることが美徳だ」と考えている人は、他人にもその考えを押し付ける傾向があります。

そういう人は同僚や部下に対して、少しの仕事のミスや、手抜きが許せなくなります。

言葉遣いや、細かい仕草にもいちいちイラついてしまいますし、

ちょっとした他人への不誠実な振る舞いを痛烈に批判してしまいます。

気がついたら、自分を正当化して人を攻撃してしまっているのです。

多くの学校や会社内でのいじめは、そこから生じているのではないでしょうか?

間違った認識で”人のために生きる”ことで、

「自分はこんなに頑張ってるのにあいつは分かってくれない」

「人は他人に尽くさなければいけないのに、あいつの生き方は不誠実だ」

「周りが俺をイラつかせる!」

こんな厄介な勘違いを生じさせる可能性があります。

「人のために生きることは素晴らしいことだ」とか言いながら”憎しみ”が生まれたら、

どんなに”美しい生き方ポリシー”を掲げても、本末転倒ですよね。

自己中心的になるのではなく、自分のために生きることの大切さを、さらに掘り下げて語っていきます。

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誰かのために生きるのは”生きる意味”じゃない!

子供、孫、社会のために生きる?

生きる意味を考えるとき、

「誰かのために生きる」というスタンスは、やめておきましょう。

確かに誰かのために自分を犠牲にして、働く、我慢する、尽くす、というのは一見素晴らしいことです。

しかし、”人のために生きる”という考えに生きる意味を求めると、新たな迷いが生じやすくなり、自分のミッションに沿った人生を生きれなくなります。

40代50代までは、家族の為、会社のため、地域のために貢献して、その貢献感が自分の幸せになりえるでしょう。

しかし60過ぎたあたりから、体は徐々に衰え、他者に貢献するどころか周囲の世話になる人のほうが多くなります。

もちろん60歳、70歳を超えても第一線で活躍されている人は、たくさんいます。

60歳からの”生きる意味”

しかし、どんな人にも体の衰えは必ずやってきます。そして死は誰にも等しく必ず訪れます。

そんな体が衰えた人生の終盤に、他者のため、社会のために生きるとはなかなか言えない状態になるものです。

子孫を残すという本来の目的が終わっている以上、

「あなたは何のために生きているのですか?」と聞かれて

「私は社会に役立つために生きてます」とはなかなか言えません。

現実にはだんだん役に立たなくなるのですから、それでは答えにならない。

引用:『60歳からの「生きる意味」』 森村誠一 堀田力

つまり誰かのため、社会のために生きるというのは、本来の生きる目的、生きる意味にはなりえないと言えます。

【絶望を希望に!おすすめ記事はコチラ!】

>>引きこもるメリット。

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”誰かのため”の、その”誰か”の生きる意味は?

仮に、いつまでも体が元気で、他者のために尽くして多くの社会貢献ができる人がいたとします。

そうすると、今度はその人が尽くした相手、その人たちは何のために生きているのか、またその人たちが生んだ子供や尽くした相手は何のために生きているのか?

尽くした相手が、特に意味もなく人生を過ごしていると、尽くした人の人生の意味も無くなってしまいます。

その相手に「人生に意味を持て」とか「お前も誰かのために尽くしなさい」とは言えません。

相手の反応に執着し、相手に何かを期待して何かをすることは、嫌悪や苦しみにつながります。

”生きる意味”は他者や社会に求めてはいけない

今回の記事は、人の役に立つことはするな!とか、

人のために生きることはバカげてる!ということを言いたいのではありません。

自分の”生きる意味”を考えるという立場に立った時に、

”自分以外の誰かのために生きることが、自分の生きる意味であり人生の目的である”という考えに一石投じているのです。

このようなスタンスでは、いずれ無力感を感じ、疲れを感じる時が来ると私は考えます。

自己犠牲の上に成り立った”生きる意味”は、心のエネルギーを奪い、本来の人生の目的を果たせなくなります。

他者のために生きる、社会貢献のために生きるという生き方は、崇高で素晴らしい生き方であることには変わりませんが。

それが”生きる意味”または”生きる目的”にはなりえないのです。

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真に”人のために生きる”ことは自分が幸せであることが大前提

浜松医科大学の名誉教授の高田和明先生は、人間の幸せについて次のように言っています。

禅がもし至上の真理を教えるものなら、それは一般社会の出来事についても当てはまらなければいけない、しかしその解釈は各人が自分の見識ですればよい。

そのためにも、自分が幸せであるよう努力しなくてはならない。

引用:『心が奮い立つ禅の名言』 高田和明

禅の考えを社会に生かすのであれば、自分がまず幸せであることが大事ということ。

つまり他者のために尽くすことが自分の生きる意味だと思う場合は、大前提として自分が幸せになることを第一に考えることが重要なのです。

人によっては、

「自分の幸せだけを考えてはいけない」

「そんなのは後回しにしなくてはいけない」

「自己犠牲の覚悟があってこそ、人を幸せにできるのだ」

という人がいるかもしれません。

しかし、他人のために尽くすこと自体が自分の幸せだと感じることが出来ないと、他人のために尽くすなんてことはできません。自分が幸せだと思ってこそ、初めて他人のために働けるのです。

当然自分が不幸だと感じている人は、他人を幸せにすることなどできません。

だから、自分が幸せになるために努力するということは、決して自己中心的な考えとは言えないのです。むしろ本質的な他者貢献のための努力と言えるでしょう。

自分が幸せだと、周囲も幸せにできる、あるいは周囲も自然と幸せになってきます。

そうなると結果的に本当の意味で”人のために生きる”ことが出来ます。

自分が生き甲斐を持ち、充実した満足な人生を送るために日々努力することは、嫉妬心や競争心、敗北感からの苦しみから解放されるために大切な事なのです。

自己犠牲が一切無い他者貢献をすることで、人は自然と幸せになり、生きる意味をありありと感じることが出来るのではないかと私は解釈しています。

おわりに

私自身、作業療法士として長年医療の現場に携わってきましたが、

”患者さんのためなら頑張れる”と頻繁に口に出して言うスタッフほど、

あまり心に余裕が無い人ばかりだったように思えます。

そして患者さんも昔から面倒見がいい立派な人ほど、自分が動けなくなった時の精神的ショックから立ち直れない人が多かったです。

どちらも、本来の”生きる意味”を見いだせていない人たちなのでしょう。

まあ、偉そうに語る私も、それを見いだせていない医療スタッフのほうでした(汗)。

【幸せな他者貢献をしたい人におすすめの記事↓】

>>許す効果。~人を許すことは自分を許すこと、そして心は健康になる!~

※私のうつ病体験記はコチラ

【この記事の参考書籍】

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