生き辛い時代を生き抜く原始仏教の教え『ブッダの獅子吼』

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目次

複雑な時代を生き抜く仏法バイブル

現代はインターネットが普及し、様々な情報が溢れかえっています。

人生に困難が生じたときには、簡単にインターネットで調べることができ、数ある情報の中から解決策を探っていくことができます。

一見とても便利で良い時代のようですが裏を返せば、苦しみに多様性があり、そして解決策にも多様性があり、複雑で人生に迷いが生じやすい時代ともいえます。

情報は常に更新されていて、昨日正しかったことが今日否定されていることなんてことは珍しいことではありません。

そんな迷い、苦しみを抱いている方にとって、この著書の中にあるブッダの合理的な教えは非常に役立ちます。

著者の北川達也氏は、国内約八万の神社を包括する神社本庁より、神職養成機関で取得できる最高階位である「明階」を取得しており、「世のため人のため」という神道の精神をもと、ソフトウェアの会社を経営しております。

仏教では、『梵漢和対照・現代語訳 法華経』などの著者で、仏教思想研究家の植木雅俊氏に師事し、また、公益財団法人 中村元東方研究所・東方学院の研究会員として原始仏教を学んでいるという経歴の持ち主です。

本書は、数ある難しい原始仏教関連の書籍とは一線を画し、仏法をシンプルに理解でき、そして私たち現代人が日常生活で実践できる仏法をわかりやすく紹介してくれています。

人を苦しみから解放する八つの道

ここで紹介されている仏法は「八聖道」に基づいており、その八聖道とは「人を悟りへと導く最も優れた道」のことです。

具体的に八聖道とは、

【八聖道】

・正しい見方、つまり苦しみについての正しい見方のこと。

・正しい考え、つまり危害を与えないことなど、正しい考え方のこと。

・正しい言葉、つまり嘘偽りから離れた正しい言葉のこと。

・正しい行い、つまり殺しや、盗み、淫らな行為等から離れた正しい行いのこと。

・正しい生活、つまりお酒に溺れるなど、邪な生活から離れた正しい生活のこと。

・正しい努力、つまり「善」を心がける正しい努力のこと。

・正しい気づき、つまり心と体を客観的によく観察した正しい気づきのこと。

・正しい精神統一、つまり心を落ち着かせた正しい精神統一のこと。

この8つの道で構成されています。

この8つの道が、私たちの人生の苦しみの元となる渇望や嫌悪を打ち消すための具体的な実践方法になります。

またこれらの修行は、僧侶のように出家しないとできないような敷居の高いものでは決してありません。

私たちの生活の中でも、十分に実践することができます。それがこの著書の中に書かれています。

例えば正しい精神統一について私たちは座禅や長時間の瞑想のようなストイックなものを想像します。

しかし、そこまでしなくても、著書の中では「喜びの呼吸」を紹介しており、以下のように書かれています。

この呼吸法は、難しいことではなく、「喜びを持って息を吸い、喜びを持って息を吐く」というものです

「喜びの呼吸法」を行うと、不浄観をしなくても、肉体への思い煩いから離れることができるといいます。

ここで私の行っている方法をお伝えします。

●喜びの呼吸法

①まず、ゆっくりと息を吸い込みます
②次に、「うれしい」と思いながら、ゆっくりと息を吐き出します
③そして、一呼吸ごとに、全身の力を抜くようにします
④さらに、喜びの呼び水として、夢や目標が叶ったイメージをします

私は、簡易的に、吐くときにのみ「うれしい」と思うようにしています。

これを何回か繰り返すうちに、本当に嬉しい気持ちが湧いてきます。

引用:    『ブッダの獅子吼 原始仏典・法華経の仏教入門』北川達也  P109

「肉食をしない」「断酒する」などの現実離れしたストイックさは一切この著書では勧められていません。

生き物を殺さないことや、言葉で人を傷つけないこと、嘘をつかないことなど守った上で、簡単にできる「喜びの呼吸」のような正しい精神統一を行う事は、

特に仏教の信者等にならなくても私たち一般人が簡単にできることです。

八聖道を深める教えとして

また、

「思い通りにならないものは、自分のものでは無い」という「非我」の教え、

「生まれたものに、死を逃れる道は無い」という「死」の教え、

「あらゆるものは変わり続ける」という「無常」の教えなど、

八聖道を深めるための教えもわかりやすく紹介されています。

例えば「非我」の教えでは、他人はもちろんのこと自分の体でさえ自分の思い通りにならないとされています。

この「あらゆるものは自分のものではない」という境地に目覚めた時、多くの苦しみから抜け出せるとブッダは説いています。

多くの人間関係のトラブルの原因は、私たちが知らず知らずのうちに抱いている「他人への期待」と言われています。

思い通りになると思っている他人の心が、思い通りにいかないからイライラや、失望感が生じます。

「他人」や自分以外の「物」はおろか「自分」でさえも自分のものではなく、思い通りにいかないという立場になった時、多くの人間関係のトラブルがなくなり、心がかなり軽くなると思います。

まさに八聖道を深める教えは、しあわせな日常生活を送るうえで、かなり心強い宝になります。

神道と仏教が共存する道

また筆者は神職の立場であり、仏法と神道が共存できるのか?について以下のように述べています。

仏法では、「法に目覚めること〈悟り〉」に重点を置きます。

神道では「世のため人のための祈り」に重点を置きます。

このように、重点を置く対象が異なるため、仏法と神道には対立がなく、お互いに補完し合える関係となり、共存することができるといえるのです。

私は、日本人の理想的な信仰形態を考える上で、神と仏の接点を見いだすことが大切と考えています。

そして、私は、多くの日本人の精神性の根底には神道的な「世のため人のための祈り」があると考えています。

さらに、神道の「世のため人のための祈り」は太古から途切れることなく続いている「伝統的な神社神道」の教えに具現化されているのです。

そのような精神性があるから、多くの日本人は、俗世間を捨てることなく、現実の社会生活を大切にしているのではないかと思います。

これらのことを加味すると、日本では「在家者」というキーワードが具体化した「人の行いを支えるもの〈法が〉」のうちに入ると私は考えます。

引用:  『ブッダの獅子吼 原始仏典・法華経の仏教入門』北川達也  P241

以上のように、純粋に神様を信仰していて、

「清らかな心で世のため人のために役に立ちたい」

という信念を持っている方であれば、どんな宗教、宗派の方でも気軽に読み進められるようになっています。

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