うつになると自信が無くなる? ~人生を変える”本物の自信”とは~

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うつの人が自信をつけるには?!間違った自信とは?

このブログはどん底を読書で克服した読書セラピストTOMOの体験記と有用な情報を赤裸々に綴っていきます。

あなたも読書に勇気づけられ、人生を変えることが出来るでしょう!

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目次

はじめに

うつの時は休日も心が休まることなく、もやもやしていましたが、お陰様で今はどれだけ仕事で嫌なことがあっても、

休日は心を切り替えることが出来ています。

それもこれも読書のおかげ、正確には読書で得た生活の知恵や心の持ち方のおかげ。

人生に必要な本物の自信とは

不安や落ち込みの原因もこの”自信”が関連している?!

皆さんの中で「もっと自信があれば人生がうまくいってうつにもならなかったのではないか」と思っている人はいますか?

私はそう思っていた人の一人でした。

仕事をするうえで過去の失敗に囚われて、人前で話すことや仕事上の判断を下すとき不安で不安で仕方ありませんでした。

そんなこんなで心が疲れてしまったのもうつになった原因だと思います。

現に私は強迫性障害が発展してうつになった一人なので、

自信がない→不安→確認行為→

でも自信がない→また確認→疲れる→→・・・うつになる。

ってな感じのプロセスをたどったので、自信の無さは世の中のトップレベルでした(笑)。

>>うつは克服できる。そう言い切れる理由。

>>私のうつ体験記三部作① ~発症、そして死ぬほどつらい地獄の時期~

>>自殺を考える前にやるべき4つのこと

みんなが持っている「自信」はあてになるのか?

自信を持つ事は人生で大切なこと。それは確かに事実です。

しかしその自信は本物なのでしょうか?

「自分はこれだけの人間だから自信が持てる」と言うはっきりした概念、基準はあるのでしょうか?

ブッダの話とは少し離れますが、「自信」について、ある実験があります。

S・キースラーとRバラルの「男の子は自分に自信がある時のほがナンパをするのか?」を調べた実験です(参考元:「天職」がわかる心理学 中越裕史)。

これが面白いんです。そして考えさせられます。

男子学生たちを集めて、 Aグループと Bグループに分けました。

そして2つのグループにそれぞれ学力テストを行いました。

そのテストというは、実は偽物のテストで、 Aグループは成績が良いようにできており、

Bグループには成績が悪くなるようにできております。

テストの結果が出て、その結果をそれぞれのグループに知らせた後に、 2つのグループの人たちに、出会いの場があるような状況を設定しました。

喫茶店に行ってもらい、女学生と遭遇するような状況を作ったのです。

ここから本題です。

もちろんこの女学生はサクラです。

この後どうなったでしょう?

成績のよかった Aグループの人たちは、

成績の悪かった Bグループの男性に比べて女学生に声をかける割合が高かったのです。

もちろん Aグループの男性も、Bグループの男性も、学力は同じです。テスト結果は偽物です。

しかし Aグループの人たちだけが、女学生に声をかけた。

これはきっと Aグループの人たちの中で自信がついたからなのでしょう。

逆に Bグループの人たちは、自信がなかったから声をかけれなかったと推測出来ます。

Aグループの人たちと何ら今までの行動や、努力に特に変わりは無いはずです。

なのに自信がない。

繰り返しますが、Aグループの人たちだけ女性に声かけた(自信かあった)という結果になりました。

果たしてそれが本物の自信と呼べるでしょうか?

>>【おすすめ本】うつで「会社辞めたい!もう逃げたい!」という時に背中を押してくれる本!【随時更新】

>>「仕事行きたくない!」と思ったときのおすすめ本!中越裕史の天職心理学を学ぼう!

”自信”も、要は間違った”判断”

ブッダの考えに照らし合わすと”自信がある・ない”というのも、これまた一種の”判断”に過ぎないのです。

心の反応に基づく判断は、正しい物の見方とは言えません。

判断は妄想の一種ですから、どれだけ自信があったとしてもすぐに崩れてしまうものなのです。

原始仏教では頭の中の判断というものを基本的に否定します。

ただ”やるべきことを正しくやる”という立場に立ち、”自信がある人”以上の成果を上げて生きましょうというのが、ブッダの知恵、原始仏教の生活の知恵なのです。

「もっと自信がほしい」という人がいます。私もそう思うことが今でもしょっちゅうあります。

でもこの考え自体、ブッダに言わせれば完全に不合理な発想なのです。

自信というのは「自分がこれが出来る」という判断にあたるからです。

できるかどうかは、その時点では誰にも分らないことで確かめようのないことなのです。

つまり、判定しようがないことなのです。

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”自信”もいわゆる”妄想”

仮に過去にうまくいったことがあり、次もできる自信があると言っても次の状況には通用しないことが多いのです。

状況は変わり続けるものだからです。

それではなぜ世の中の人は自信を欲しがるのか? それは人が妄想に囚われているからでしょう。

つまり”慢”の心。 ”自分はできる”というふうに思いたいという”慢”の心です。

やたら上から目線で話してくる人とかいますよね。

彼らは自分はすごいと思われたいという慢というビョーキに侵されているのです。

そういう人たちの自信というのは、まさに根拠のない妄想です。

もう一つは”不安を打ち消したい”が為の妄想です。

つまり”自分はできないかのしれない”な言う不安、また将来への不安からくるものです。

つまり不安を適当に埋め合わせるために自信を無理やり持つ。

これも言うまでもなく根拠のない自信です。

つまり自信家も自信の無い人も根拠のない妄想に囚われているということが言えます。

ここで原始仏教的な解決策の紹介です。

>>うつの人が「嫌われる勇気」を読む3つのメリット

>>アランの幸福論でうつを撃退!~幸せになる”秘密”がここに~

妄想を捨て、本物の自信を持つには

妄想を消すには、まずラベリング

原始仏教的な立場では、

”自信は妄想に過ぎない、妄想はあてにしない”

というのが基本原理です。

自信がなかったり、根拠のない自信が湧いて来たら「あ、今妄想した」と気づきを入れてリセットするのです。

そうラベリングですね。

これはこれまでも述べましたが心の点検とメンテナンスです。

それより今できることは何か?ということを考えるのがブッダの教えです。

できれば大きな事でなく簡単なこと、地道に続けられることを思い浮かべてください。

たとえばうつで寝たきりなら、いきなり「図書館に行こう」とか「外でジョギングしよう」とか思わずに、

毎日起きたら窓を開けること。

窓が無理ならカーテンだけ開けること。

それくらい小さなこと、できることが自信につながります。

これが最も合理的な対応策なのです。

もう少し詳しく。 自分はできると思い込んでいる自信家の方に、ブッダの知恵が助けられることはありません。

そのうち勘違いに気づいて自信を見失ったときにブッダの知恵は役立つでしょう。

自信がなくて何もできずに人生路頭に迷っている人、 そんな人は「もっと頑張って自信をつけないと」と無理をしたり「次はこの資格を取ろう」と自分に追い込みをかけて疲れ果てている人もいるでしょう。

しかし、そんな形で”先延ばし”をしてもおそらく自信がつく日はやってきません。

というのはそういう人の思考の成り立ちが”自分が能力がない””自分はまだまだ”というネガティブな妄想からきているものだからです。

きっといつまでたっても、何をやっても自信を欲しがり続けるでしょう。

では原始仏教的に本当の自信がつけられる方法とは何でしょう?

ここでまたスモールステップの原理を思い出そう

それは小さな行動を積み重ねった結果、こうすればこういう結果になるという見通しが出来た時に本物の自信が身につくのです。

本物の自信をつけるたった一つの方法はこれです。

まずやってみて体験を積む

こう動けばこうなるという成果を体で感じる

最も大事でむつかしいことは①のやってみることです。

小さな行動を起こすことでも不安に駆られる人は多いでしょう。

そんな時はその考え自信も”妄想なのだ”ということに気づいてください。

「自分は未熟で失敗して周りに迷惑をかけるかもしれない」 これらは全部妄想です。

まっさらな気持ちになり”まずやってみる”という発想に立てば、仕事、人生はかなりラクになることでしょう。

こうしたスタンスは”できるかできないか”ということに執着しない原始仏教的な生き方。

簡単な事、できることを時間をかけて続ける。

何か少しでも成果を感じる。 その時に持てるのが本物の自信と言えるのではないでしょうか。

この考えていくと、上で述べた男子学生の実験で、

自信がついたと思い込んで、傲慢になるのも問題。

自信が無いと思い込んで、何も行動を起こさないのも、もっと問題なのかもしれませんね。

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威張る人ほど自信が無い!

自信がある自分。もしくは自信がない自分。

これらの性格は妄想に囚われている証拠だとお話ししました。

どちらの性格を自覚していても、妄想に囚われている人生なのでうまくはいきません。

その妄想に囚われないために、1つの判断基準があります。

これがまた意外な判断基準なので、追記しておきます。

自信がない人の1つの明確な特徴として、人の悪口を言う、批判する、攻撃的になるという意外な傾向があります。

口を開けば、悪口が出てくる人、批判的な言葉が好きな人、攻撃的な人がいますよね。

ここで少し想像してほしいのです。人はなぜ他人を批判するのか?

おそらくその直接的な理由としては、そのように強く見せないと自分のことが相手に軽んじられると思うからです。

つまり誰かを攻撃していないかぎり、自分の価値を認識できないと言うことなのです。

その人は自分の価値を常に維持していきたいと言う要求が裏にあります。

攻撃していないと不安になる。極端に言えばそういうことです。

むしろそのように強がっている人は、そのような弱さがあると推測できます。

もしあなたの周りに、あなたに攻撃的な人、またあなたに対して批判してくる人がいましたら、このように考えてください。

その人はあなたに攻撃することで、精神的な不安から逃れている自信のない弱い人。

そのように考えたら、少し気が楽になりませんか?

またあなた自身が口を開けば攻撃的な傾向、誰かを批判してしまう傾向にあるのだとしたら、

ここで生き方を改めるチャンスです。

そのことに気づいて、ただ行動を改めましょう。

「過ちを気に病むことはない、ただ認めて次への糧にすればいい。それが大人の特権だ」(byフル・フロンタル)という某国民的ロボットアニメの名言があります。

それはさておいて、、、。

人は行動によって思考が変わり、性格が変わります。思考や性格が変わるとその人の人生まで変わって行きます。

自信がない人がする行動していると、当然あなたに対してもいつまでも自信がある人生はやってきません。

ここで言う自信とは仏教的な「本物の自信」のことです。根拠のない自信のことではありません。

精神科医 ゆうきゆう先生の、見解でもこのようなものがあります。

高圧的な態度をとるのは、心理手法の中の一つ、「ハロー効果(後光効果)」の応用でしょう。

当然ですが、権威、権力、財産など社会的な力を持っている人間には、誰もが歯向かえにくくなるものです。

その上司は、わざと高圧的な話し方をすることで、その権力をあなたに対して強く意識させようとしているのです。

「俺は偉いんだから、それを忘れるなよ…?」こんな無言の圧力なわけですね。

~中略~

でも裏を返せば、それは「自分自身への自信のなさ」を表しているともいえます。

なぜなら、武器を最大限に誇張することでしか自分を守れないと認識しているからそういう行動に出ているとも読めるからです。

引用:ちょっとだけ・こっそり・素早く「言い返す」技術 (王様文庫 C 47-3)

そもそも人を攻撃したり、批判したりする行為なんて良いはずがありません。

必ず自分に返ってきます。

そんな自信のない人間がやるようなことは、今後行わないようにして、少しでも自分に自信をつけるために、

いや「本物の自信」をつけるために正しい理解と、正しい行動で過ごしていきましょう。

人生はいたってシンプルです。

>>”繊細な心”の持ち主こそ、いざという時強い 

>>未来に希望を持つことこそ、最強の生きる力!

おわりに

<この記事のまとめ>

・根拠のない自信は妄想

・スモールステップの原理です。

・小さな小さな小さな一歩を踏み出そう!

そして、、

・攻撃的な人間は自信が無い人

とにかくやってみよう!

【私が好きなおすすめ参考書籍】

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