親としての自信が無くなっている人へ。親としてのたった2つの役割。

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立派じゃなくていい。親の役割。

このブログは人生のどん底を読書で克服した私、

読書セラピストTOMOの体験記や読書から得た有用な情報を、発信していきます。

若い人も、ある程度年齢を重ねた人も、生きる技を読書から得て、人生を豊かにしていきましょう。

今日は、親の役割について語っていきます。

私もうつになったとき、若輩者でしたが、すでに人の親でした。

私はうつになったときに、もう親の役割を果たせないと絶望もしました。

そのように感じる人は、多いのではないでしょうか?

特に中高年になると、さらに子供のことで自分が責任を感じることが多いと思います。

定年後にうつになって、子供に対して申し訳なく感じて、自責の念を抱く人、

自分の無力さに苦しむ人も多いと思います。

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中高年の悩み。子供の悩み。親として出来ること

うつになると、自分の子供に申し訳なく感じる

私がうつになった時、子供はちょうど2歳でした。

私にとってかわいいたった一人の息子です。

これからまだまだお金がかかる時、そして父親として、いろんなことを教えたり、精神的な支えになっていきたい。

子供にとって、理想の父親でありたいという気持ちから、自分がうつになったときは、もう絶望的でした。

・子供に申し訳ない。

・自分は父親失格だ。

・将来子供に貧しい思いをさせてしまうのではないか?

・何より、うつで頼りない父親と思われるのではないか?

そんな思いで、親としての自信を無くしました。

中高年は、悩み、迷い、うつになる。子供とどう向き合う?

これは中高年の人で、ある程度子供が大きくなっていても、同じような思いに駆られると思います。

中高年のうつは増え続けていますし、特に定年後に自分の社会的役割がなくなって、

その喪失感からうつになる人が増えています。

また、その他の病気(脳卒中や糖尿病、がんの経験)からうつにつながることもあります。

また、思春期や成人した自分の子供との向き合い方がわからずに、

心を病んでしまう人もいます。

自分の社会的役割がなくなり、病人になったとき、親としての自分を責めてしまいます。

”親としての役割”

これについて、本当に悩むことは多いです。

私もうつになりたくさんの本を読んで、親としての役割を考えさせられました。

うつの自分でも、子供にとっていい親でありたい、

そして「子供にとって豊かな人生を送ってほしい」そんな思いから、たくさん苦悩しました。

実は、定年を迎えた私の父親も、自分は今後どう生きたらいいのか?と悩んでいました。

5年前に脳梗塞を患い、ちょうど70歳を迎えた父、

そんな年齢になっても悩みは尽きないのです。

”完璧な親”とか”愛情のある親”なんかじゃない。本当の親の役割2つとは?

私は、海外の精神心理学の研究家や、日本の哲学者、初期仏教の本を読む中で、

たくさんの価値観を学び、親として子供に向き合う心構えが、なんとなくわかってきました。

そこで、一つの大きな気づきを得ました。それは、、

自分が”親として完璧な人間を目指すのは、子供にとって良くない”ということ。

特に”愛情”という言葉がこの際よく使われますが、この言葉は非常に曖昧で、定義しづらいものです。

それゆえ、時に”愛情”という言葉は、自分を責めて、人を憎む材料になってしまいます。

”親として愛情を十分与えることが出来たか?”

なんてことは思わないほうが良いです。

大抵の人は、心のどこかで自分を責めることになります。

親として、子供に向き追う時の最大の目標設定は、

子供を親から”卒業させること”

教育のゴールが、人を”自立させること”であるように、

子供を親から卒業させることは、親としての最大の目標です。

その時に親としてできること、つまり親の役割はたった2つです。

「愛情を伝えること」なんて曖昧なことは言いません。

大事な役割はこの2つ

・大人同士として向き合うこと

・応援する心を持つこと

この2つの役割を知って、それを心がけて生きることで、少し心は軽くなります。

そして子供にとっても、いいことばかりなのです。

物心ついた小さなうちから、一人の人格として付き合うこと。

うつな自分でも等身大の自分を見せて、できる限り誠意をもって向き合うこと。

子供を一人の人間として、人格を認めて接することが出来た時、

変に腹が立ったり、心配したりすることがなくなります。

特に思春期なんか、

「まあ親の言うことなんか、聞きたくないのは当たり前だよなぁ」っと大きく構えていられます。

子供が何か大きな失敗をしても、

「気にするな、これから頑張れよ」と言ってあげられます。

子供を一人の人格者として、接することで子供自身が早いうちから、自分の人生を自分で選択します。

そういう子供は、将来挫折した時に圧倒的に立ち直りが早いのです。

なぜなら”人のせいにしない”からです。

そして、大人同士として接することは、なにも放任主義になることではありません。

下手でもいいから、子供を応援すること。

子供に”幸せになってほしい”という慈しみの気持ちがあれば、それで十分なのです。

「友達と楽しく遊んでほしい」「受験に合格してほしい」「楽しく働いてほしい」

そう思うことだけで十分。

親としてできることは、お金を使って塾に行かせたり、

お小遣いをたくさんあげたり、ぜいたくな服を買ってあげる、そんな事だけではありません。

それをやらなくても、応援するということはできます。

辛いときに話を聞いてあげること、そばにいること、いたわりの言葉をかけてあげること。

何度も言いますが、応援することとは、

相手を思いやり慈しみの心を向けられればそれで十分なのです。

立派な親は、むしろ毒親。立派じゃなくていいんです

立派な親は、子供に惨めな思いをさせまいと、いろいろ助け船を出します。

子供が悩んでいたら、子供に代わって解決してしまったり、子供がお金に困っていたら子供に経済的な援助をしようとします。

しかし、

子供から悩みを奪う事は恐ろしいこと

個人が成長する上で必要不可欠なものが、

「悩み」

なのです。

親が良かれと思って一方的で、

安易な解決方法を示す事は、

子供の「気づきのきっかけ」を奪ってしまうことになります。

子供が困っているからといって、

答えを示すこと、代わりに解決してしまうこと、お金を与えて助ける事は、

実は根本的は何も解決せず、子供を不幸にしてしまうことに手を貸しているのです。

安易に解決策を得た子供は、

簡単に人に頼ろうとします。

そして「我慢する」という力を失い、

人間力を身に付ける機会を奪われてしまいます。

さらに親が立派すぎて、自分の力で何も解決できなかった子供は、

自分の力で何か事をなし得るとか、

自分の力でお金を稼ぐと言う、

人生で大きな喜びを知る機会を損なってしまいます。

この事は、親として大きな罪と言えるでしょう。

だから何が言いたいかと言えば、

立派すぎる親の下から、

優秀な人間と言うのは育たないし、

親自身が立派である必要なんかありません。

その時その時で、

できることをしてあげる。

親自身が弱い人間であると言う事は確かなのですから、それを自己開示して、

自分は何もできないけどあなたのことを大切に思っているということを、

日々伝えることができれば、

他に何もいらないのではないでしょうか?

おわりに

完璧な親でなくていいんです。

そもそも完璧な親なんて、存在しませんから。

等身大の自分として、子供の前で弱音を吐くこと、素直態度を出す事もあります。

子供もわかってくれるし、実はそのような態度を親がとったほうが、子供としてはうれしかったりします。

子供は子供なりに、慈しみの心をはぐくむものです。

人間としてもっとも大切なのは、そういうことではないでしょうか?

”親としての責任”

”いい親であらねば”

”愛情を与えなければ”

”完璧な親であらねば”

そんな重荷はさっさと、降ろしてしまってください。

自分も子供も楽になれます。

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