母がある日うつ病に…【挫折の克服体験】

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ひょんなことがうつ克服のきっかけに、、。

今回も一般の方から提供いただいた挫折克服体験談を紹介します。

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目次

母がある日うつ病に…

きっかけは家族の離婚

私の母は、とてもきちんとしている人でした。

父は一流企業に勤めるサラリーマンで、子供もそれなりの大学を出て有名企業に入社しており、まさに順風満帆といった人生を送っていました。

娘二人も結婚し、私の姉はエリート社員と結ばれ将来は安泰、いずれは二世帯住宅で暮らそう…という話しで盛り上がっていたようです。

それが、どこで歯車が狂ったのか、姉が離婚することになったのです。

原因は浮気。仕事やお金、義理の親との折り合いがつかないというなら、まだ周囲にも恰好がついたかもしれません。

けれど、原因は浮気です。

母にしてみると、「恥だ」という想いがとても強かったのでしょう。

最初は激しい怒りを感じており、何とか二人を修復させようと躍起になっていたようです。

しかし、結局どうにもならず、離婚という結論に。

もともとプライドがとても高く、周囲に対して夫や子供を自慢している母でしたので、この離婚は大きな屈辱だったのでしょう。

日に日に言動がおかしくなっていったのです。

最初は「頭が痛い」と頻繁に訴えるので、検査をしてもらおうと病院に連れて行きました。

しかし、CTを取ってもどこも異常なし。

それから、次は「夕飯に何を作ればよいかわからない…」と言い出したのです。

当時私はすでに別居していたので、父からの話ですが「何を言っているのかさっぱりわからない」と思ったようです。

けれど、実際に料理をすることができず、ついには何も話さない、何も食べないという状況に陥ったのです。

家の中はごちゃごちゃ、体重はみるみる減っていき、ついには30キロ台に。

そこで、心療内科を受診することになり、うつ病だと診察されたのでした。

薬を飲んでも、一向に症状が改善されない。

父はすでに定年を迎えていたので、母のお世話を1日するようになりました。

お世話といっても、椅子に座ってじっとしているだけですが。

そんな母にジュースやお菓子などを準備して、少しでも食べるようにと父は促していたようです。
さらに、コメディ系の映画を借りてきては、母にみせるようにもしていました。

でも、まったく興味を示さず、目はうつろ。

面白いシーンにも、ちっとも反応することがありません。

それでも、父はすっと母のそばにいました。

親戚なども自宅を見舞ってくれ、母にいろいろ話しかけてくれましたが、一向に症状は改善されず、日に日に痩せ劣っていくだけでした。

家族や友人知人の懸命の支えがあるにも関わらず、母は心を閉ざしたまま、外の世界を完全に遮断していました。

うつ病というのは聞いたことがありましたが、こんなになってしまうとは夢にも想像しませんでした。

姉にしてみても「全部自分のせいだ」と自分を責め続けて、絶望を感じる年月が続いたのです。

二人で料理をすることが克服のきっかけに。

すでに2年くらい、母のうつの状態が続いていたのですが、あることをきっかけに状況が大きく変わったのです。

それは、父が料理を始めたことでした。

それまでは、スーパーマーケットででき合いの品を買ったり、姉や私が作った料理を冷凍し、それを解凍して食べるという感じでした。

けれど、そういう食事はマンネリが多く、味気ないとも思っていたでしょう。

ある日、父が「自分で料理をする」と言い出したのです。

しかし、過去に一度も料理をしたことがない人でしたので、ゼロからはとても無理です。

そこで、宅配サービスというのを利用することになったのです。

宅配サービスというのは、食材と作り方を毎日自宅に配達してくれるというものです。

これなら、レシピ通りに作るだけですので、父でもできそうだということになりました。

そして、不器用ながらに、父は自分で二人分の食事を準備するようになったのです。

最初は30分程度でできるはずの料理が、2時間ほどかかってしまうこともあったようです。

けれど、父にしてみれば満足で、日々の生活に活気や目的ができもしたようです。

食べない母の前にも料理を並べ、満足げに自分の作ったものの自慢をしていたようです。

そんなある日、そういう父の姿を見て、母に変化が起こったのです。

なんと、台所に立つ父の後ろまで歩いてきて、「下手ね~」とコメントをしたのです。

それまで、ひとりで立ち上がることもままならず、会話なんて一切なかったのが「下手ね」という言葉が出たのです。

これには、父もかなり驚いたようです。

最初は、何が起きたのかわからなかったそうです。

そこで、「なんて?」と聞き直すと、もう一度「下手」といわれたとか。

そこで、「じゃあ、教えてくれ」というと、母は黙って包丁を握り、フライパンで焼き始めたのだそうです。

それ以来、夕食は父と母とが一緒に作るようになりました。

母から出るセリフは、ほとんどが父の下手さ加減を呆れる言葉だったようですが、それでも意志の疎通ができるようになり、父はとても嬉しかったようです。

料理を一緒にするようになると、掃除も二人で一緒にするようにもなったようです。

母にあれこれ文句を言われながら、父が掃除をする。

そんなスタイルが確立していきました。

それ以来、心療内科のクリニックの先生にも、母はいろいろと話をするようになりました。

話の内容は、ほとんどが父の料理の下手さなのですが。

それでも、先生も母の回復具合に驚き、ずいぶんと感心されたようです。

そうやって、母は徐々に生気を取り戻し、3年かけてようやく普通の状態になりました。

暗くやせ細っていたのに、どんどん食べるようにもなったのです。

たまたま起きた奇跡、それが、母をうつ病から立ち直らせてくれたということです。

今でも、母は心療内科の先生を定期的に訪問して、うつ病が再発しないように見守っていただいています。

今のところ、とても安定しており、うつの気配がまったくないようです。

何をやっても反応がなかったのに、本当に何がきっかけになるのかわからないものだと、今でも思わずにはいられません。

気づき ~流れに任せてみればいい~

母の体重が減っていくと、家族は不安で不安でたまりませんでした。

家の中は暗く、この状態がずっと続くのか…と思いもしたものです。

しかし、今現在の母は元気で、友達と旅行に行くこともできるようになりました。

心の病は計算や治療で何とかなるものではなく、ちょっとしたきっかけで劇的に改善されることもあると、身をもって経験しました。

おわりに

読んでいてなんだか泣けてきました。

素直に良かったと思えるストーリーで、なんとも心が温まります。

お父さんのキャラクターが超ファインプレーでしたね。

うつになると、自分の無力感に悩まされます。

どれだけ有能な人でも、うつ状態の真っ最中は、

本当に自分はこの世で最も何もできない人間だと信じ込んでしまうのです。

気分が少し回復したころに、ちょっとでもやれることが増えると、

自分に対しておおきな成長を感じます。

まして、人にものを教えるという役割は、

うつ当事者にとって、大きな自信の回復につながるでしょう。

ちょっとしたきっかけですが、

本人や支える家族からすれば、とても大きな奇跡に感じるもの。

小さなことが大きな奇跡に感じることが出来たら、

どんどん運が味方します。

今後の人生は素晴らしいに違いないでしょうね。

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