このブログはうつを読書で克服した私、読書セラピスト兼作業療法士TOMOの体験記や有用な情報を発信していきます。
目次
はじめに
今回も私のうつ闘病から復帰、新しい人生をスタートさせるまでの流れを、三部作で綴っていきます。
かなり生々しく書いてはいますが、現在は完治しており、何年も薬を飲んでいません。
「自分の悲惨な体験をさらすことで、誰かの希望になれるのであれば」との思いからあえて生々しく書いています。
私の闘病日記で、一人で多くの方が、快方に向かうきっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。
前回までの流れはこちら↓
>>私のうつ闘病記三部作①
闘病記
休職生活が始まるが、同僚への説明に戸惑う
2012年の夏の日。医療職として施設で勤務していた私は、
極度の心配性(強迫性障害)からうつになり、精神科に駆け込み即休職。
そして私は8月の中旬から休職生活に入ります。
休職に入るにあたり、医師から診断書渡されました。
そこに記されていた病名は「うつ病」と、
その字が手書きだったんですが、生々しく感じたのを覚えています。
そして、その診断書を妻に見せると、妻は大声で泣いて泣いて、崩れていき、その姿を見た私も情けなくて、情けなくて、どうしようもありませんでした。悲しかったです。
唯一運がよかったのは、2歳になる息子はちょうどお昼寝をしていました。
私たち両親が絶望している姿を、息子に見られなくてよかったと思っています。
休職生活が始まるわけですが、休職することを同僚に伝えなければいけません。
本来なら、休職前に一度出勤して上司や同僚に説明するのが筋だと思うのですが、当時の私には、そんなことやる余裕はなかったです。
出勤できないくらいのどん底気分でしたし、職場に行くのが怖くて怖くて仕方ありませんでした。
こんなこと言うと、「甘えてる」「非常識だ」なんて言われるかもしれませんね。
言われても何も言い返せません。
自分が同僚の立場で、同じことされたら確かに憤りを感じます。
でも当時の私としては、電話で休職に入ることを伝えるのが限界でした。
出勤してみんなの前で「うつになったから休みください」なんて、言う勇気はありません。
というか、どうやってそんなことを切り出したらいいのか、想像もつきませんでした。
職場には勇気を出して、電話で伝えて診断書は後程提出することになりました。
電話も怖かったです。
同僚の一人に「病名は何なの?」「精神的なもの?」「原因はなに?」などと詳しく聞かれました。
はっきり答える勇気がなかったので、「察してください」としか言えなかったです。
辛かった。本当に辛かったです。
こんなみじめで屈辱的なことはありませんでした。
仕事に行かなくていい生活が始まるが、、別の苦しみが
そして休職生活に入ります。
仕事に行かなくていいという安心感は、確かにありました。
毎日テレビを見たり、インターネット見たり、そうしながら不安な事や考えなくていいことを考える日々。
そして出された薬を飲んで、効果が出るのを期待する日々。
抗うつ薬を飲むのですが、やはり副作用に苦しむことには変わりませんでした。
休職して仕事のストレスを減らせば、抗うつ薬の副作用に耐えられるのでは?という淡い期待もありましたが、まったくそんなことはなかったです。
吐き気や胸のつかえ、そして何より辛かったのが焦燥感です。
寝ても起きても不安で何かに焦る。
じっとしていられないから、家の階段を無意味に昇ったり下りたりする。
そんな意味不明な、奇怪な行動をとっていました。
ネットサーフィンの日々、「自殺」が頭をよぎる
調子の悪いときは、ほぼ一日寝たきり、少し調子がいいと起きてパソコンやスマホでネットサーフィン。
うつに関する情報をひたすら追っていました。
・どうしたらうつが完治して以前のような生活に戻るのか?
・もう職場で出世は難しいのか?
・どれくらいの期間で完全に治るのか?
それらをいろいろな検索ワードを使い、検索かけて一喜一憂していました。
ネットサーフィンを長時間やっているうちに、なんとも言えない疲労感に毎回襲われていましたが、やめられませんでした。
そんなことをしているうちに、やはり自分が働いていないということで、その現実が受け入れられず、復職に焦り始めました。それが休職2週間目くらいの時期です。
30過ぎた大人の男が昼間に家にいるという現実。
当時は本当に深くみじめな気分になり、将来に対す絶望、家族に対する申し訳なさで頭がいっぱいでした。
うつになり食欲が全くなくなり、しばらくご飯が食べれなかったのですが、ドグマチールという薬を処方され、いくらか食欲が戻り、ちょっとずつ気分が良くなってきました。
休職3週~4週目くらいから、食欲のせいか、以前より体的には活動性が上がりましたが、
少し元気になるとふと「死にたい」という気分に襲われることがあります。
ふと昼寝した時に、自分が家の柱で首を吊って自殺している夢を何度も見ました。
慌てて起きるのですが、実際には生きている自分に対し複雑な思いが毎回立ち込めてきます。
自殺に対し異常に執着した時期がありました。
ネットを開き、自殺した芸能人や女性アナウンサー、政治家、著名人について事細かく調べ上げていました。
何のためにそんなことをしたのか、今考えてみればよくわかりません。とにかく、エネルギッシュな人が自殺に至ってしまった経緯が気になって気になって興味本位で調べて満足していました。
実際にパソコンのWordに妻と子供、そして家族にあてて遺書を残しました。
今の自分がいつ衝動的に死んでもいいように、感謝の気持ちを綴ってパソコンのフォルダに残しました。(のちに妻に発見され、泣かれ、消去されましたが・・・)
テレビが辛い。明るい話題も、暗い話題も
休職中、テレビを見るのが本当に辛かったです。
私が休職していた時、ちょうど「ワイルドだろ?」とギャグがはやっていた時期で、
私にとっては、あのような特に意味もなく明るいノリの話題が本当に自分をみじめにさせていました。
またワイドショーを見ると、ちょうど滋賀県の大津のほうであった、いじめ自殺事件の報道を連日やっていました。
自分にも息子がいるので、子供がいじめられて自殺するというのは、他人事とは思えず、いじめの事細かな経緯を番組で知るだけで、非常に心が辛くなり、吐き気を覚えたくらいです。
自分とは関係のない赤の他人のニュースなのですが、理不尽で残酷ないじめは聞くだけで自分が当事者になったかのような気分になり、異常に体が反応したのを覚えています。
後で知ったのですが、自律神経が乱れている状態ではこのようなことは、よくあることだそうです。
良くなりたい!無理やり外出を試みる
8月が終わり、9月になりました。休職中に9月を迎えまたみじめな気分になりました。
でも体はだいぶ動くようになり、意を決して家族三人でショッピングモールに出かけたり、サーカスを見に出かけたりしました。
家では体調が整ったものの、いざ外や人ごみに出ると何とも言えない疲労感、逃げ出したい気持ちになったのを覚えています。
サーカスなんかは途中で会場を抜け出し、外のベンチで座っていました。誰もいないベンチがとても落ち着いたのです。
こんなんじゃだめだ、こんなんじゃ復帰できない。そんなことを実感し、絶望しました。
それでも、自分が仕事をしていない状況に耐えられず常に復帰することを考えていました。
そこでネットで検索した結果、図書館に通う事が職場復帰のリハビリになることを知りました。
特に医者にアドバイスを求めたわけではなく、自分で決めました。
当時の私は、医者の事は信頼していなかったのでしょう。
同じ市内の図書館では誰か知り合いに会うのが怖かったので、あえて少し遠くの市の図書館に通うようにしました。
しかし、図書館の本は面白そうなものがなく、なかなか目に留まるものがありませんでした。
とりあえず行った日は、図書館に行くことが出来た自分を褒めて、自分に合格を出すようにしましたが、実際に図書館に行ったのは2回程度でした。
辛くて、気力が無くて続きません。
その時点で図書館には、自分に合った本との出会いはありませんでした。
それがあれば、そこから人生が変わっていたかもしれません。
休職生活の辛さから、無理に復職に踏み切る
10月に入り、もうやけくそでした。
死にたい気分になる日が多くなり、しかし職場復帰にも焦り、また職場からも週に一回は連絡するようにと酷な命令をされていました。
この連絡が辛い。電話で連絡して、上司から「元気か?良くなったか?」と聞かれると、
「元気じゃない」とはなかなか言えません。
どうしても、「だいぶ良くなりました」なんてウソをつきます。
確かに、日によってはかなり調子がいい日はあるのですが、ほとんどが辛い、死にたい、焦る、そんな気持ちで頭がいっぱいです。絶不調です。
それでも布団に寝たきりというわけではないので、まだマシだったのでしょう。
この時期に、もうこれ以上休んでもうつが良くなることはない、無理やりにでも復帰しようと思い始めました。
この時期に頭の中を占めていた感情は“復帰したい”ということと“死にたい”ということ。とにかく、今の状況を終わらせたいということ。
そのためには、職場復帰するか?命を絶つか?という感じです。
そんなことを本気で思っていました。
とりあえず、死ぬ勇気はないので、精神科の先生の所に行き、職場復帰の許可をもらいに行きました。
その時のやり取り、
私:「先生、もうだいぶ調子がいいので職場に戻ろうと思います」
先生:「そうですか、大丈夫ですか。」
私:「はい、もうここ一か月くらいは、うつ状態になることなく過ごせています」(←ウソ)
先生:「そうですか、それは良かったですね、じゃあ半日勤務から復帰しますか」
私:「えっ、半日勤務ですか?」
先生:「そりゃそうですよ。慣らし勤務をしながら復帰しないと、すぐに再発しちゃうよ。」
私:「嫌です。それじゃ職場に迷惑かけてしなうので、一日勤務でいけます。先生お願いします」
先生:「あなたの職場は大きい職場なんだから、リハビリ出勤を認めてくれるでしょう。焦ることなんかないよ、会社に甘えればいいんだよ」
私:「いや、リハビリ勤務なんて逆に精神的に辛いです。中途半端に出勤しても逆に周りの目が気になるだけなので、フルタイム出勤でお願いします」
先生:「・・・。そうですか。じゃあ無理しないようにね。そのように診断書を書いておくよ」
私:ありがとうございます。
そんな形のやり取りで、職場復帰の許可を先生から頂くことになりました。
まあ、自分の体の状態を偽って、無理やり出勤許可を得たという形です(あくまで私の自己責任的行為です。真似することはオススメしません)。
早速そのことを職場に報告して、復帰の日程を決めることになりました。
職場の事務員、および上司に会いに行き、状態を伝え(偽りの状態ですが)2012年11月1日から復帰することが決まりました。
しかし、復帰が決まったとたん、ものすごい恐怖心が襲ってきました。うつで休んでいたことをみんなが知っているわけです。
そんな職場に復帰するわけです。どの面下げていけばいいのか?不安でたまらないです。
吐き気すら覚えました。
恥をかく恐怖、ちゃんと働けるかわからない恐怖、再発する恐怖。
怖いのは再発する恐怖ですね。
副作用が強くて、飲める抗うつ薬が無かったので、守ってくれる薬もありません。
そのころネットで色々調べて、メンタルに良い漢方薬があることを知りました。
ナイナイの岡村もキングコングの梶原も、漢方が役に立ったそうです(ネット情報)。
ネットで調べた漢方薬を先生に伝えて、処方してもらいました。
先生はあきれ顔で、あまりいい気分ではなさそうでしたが。
ちなみに私が飲んだ漢方薬は「加味帰脾湯」と「柴胡加竜骨牡蠣湯」というものです。
しかし「柴胡加竜骨牡蠣湯」は少し渋みが強く胃が痛くなったのですぐに飲むのをやめました。
そして加味帰脾湯をお守りに、いよいよ11月1日から職場に復帰することになったわけです。
つづく↓
>>うつ克服三部作③
おわりに
休職中は私にとって、あまり心が休まらない日々でした。
薬の副作用に苦しんで、いつ抜けれるかわからない先の見えない悩み、職場から定期的に連絡を求められることなどが、私にとって地獄のようなストレスでした。
私のように、休職中に喪失感や絶望感に襲われて、復帰へのプレッシャーを感じている方はたくさんいると思います。
そのプレッシャーに耐えられずに復帰を焦る方も沢山いるのではないでしょうか。
私にとって休職中は、あまりにも辛い日々で、いろんなことを頭にめぐらせていたので、
その時の記憶は実はあいまいです。
それでも、休職中に簡単な本は読めました。
その時の本には、特別大きく感銘は受けなかったのですが、今思えばあの時の読書にも大きく助けられた部分はあります。
細川貂々さんの「ツレうつ」シリーズは、とても気分がまぎれました。何度も読み返したのを覚えています。
そして、
それほど熱心なファンというわけではないのですが、斎藤一人さんの本やそのお弟子さんが書いた本は、読むと心が少し軽くなりました。
言葉の力を改めて勉強するきっかけになりました。
どんな些細な程度であれ、本に助けられたのは事実です。
次回の記事では、読書によって更なる変貌を遂げたエピソードを綴っていきます。
つづき↓
>>うつ克服三部作③
ではでは。