母親との不仲をどう克服?
今回の記事では、
幼少期から母親との関係の不和がもとで、心をバランス崩した女性の克服体験を紹介します。
家庭環境もあまり良くなく、かなりの暴言も浴びせられたようです。
でも、この女性の生き様が本当にすごいんです!
目次
はじめに ~親子関係と心の病~
高校や大学の勉強の負荷に耐えられなかったり、人間関係をうまく気づけなかったりして、心のバランスを崩す人がいます。
またそれが社会人になって現れる人もたくさんいるでしょう。
そんな時は生きる希望を入試なってしまいますよね。
精神科医の宮島謙也先生は、
自己否定する心の癖の背景には、過去の親子関係が影響することが多く、
親の何気ない一言や態度が、子供の重圧となり、
自分が価値のある人間だと認識できなくなる要因だとおっしゃっています。
それが全てだとは言いませんが、
今の私たちの人格を決定づけているのは、親の影響が大きいでしょう。
だから、幼少期からの親子関係があまり良くなくて現在不安障害や、うつの症状に苦しんでいる人はたくさんいます。
今回の記事で、情報提供くださった方も、幼少期からの親子関係に苦しみ、大学時代に挫折を経験した方です。
現在は、その苦悩を見事に乗り切って、
幸せに暮らしているわけですが、
どのようにして乗り切ったか?
何がきっかけだったのか?
この体験談で、それを記してくれています。
生きていく上で、かなり参考になります。
【ここから体験談:母親との不仲を乗り越えて、自分の人生を掴む】
経緯:母親との不仲、貧困の中で生きづらさを抱えて生きてきた
私は現在30代半ばですが、子供の頃からずっと生きづらさを抱えて生きてきました。
昔から、ストレスやプレッシャーに弱く、学校で嫌なことがあったり、大きな発表会があったりすると、決まってお腹を壊したり頭痛を訴えたりしていました。
保健室の常連で、小児科にもずいぶんかかりました。
私の母は、未婚で私と姉を出産しました。
私は父親から認知をされていないいわゆる私生児であり、父親のことは全く知りません。
名前もどこに住んでいるのかも、どうして私が認知されなかったのかも何も母は教えてくれませんでした。
母は、とても感情の起伏が激しい人でした。
そして、いつも自分の人生の不幸さを嘆いていました。
私や姉が自分の思い通りに動かないとたたかれることもしょっちゅうありました。
灰皿が飛んできたこともあります。
母に反抗することや意見をすることは許されませんでした。私は、常に母に褒められるような行動を先回りしてするようにしていました。
そんな母なので、私がストレスやプレッシャーで体調を壊すことを良く思っていませんでした。
「お前は心が弱い!」と体調を崩すたびに罵倒されました。
私が弱音を吐くと、「被害妄想だ。」「悲劇のヒロインになるな!」と怒られました。
そのため、私は誰にも弱音を吐くことができなくなりました。
母は、毎日朝から晩まで働いていたので、日中は私と姉は母の姉で私から見ると叔母に当たる人に面倒をみてもらいました。
ですが、叔母からも可愛がられた記憶はありません。一応、食事は作ってくれましたが、ご飯と味噌汁だけという日もありました。
大きな声でしゃべることも、好きなテレビを見ることも、暑い日にエアコンをつけることも、友達と電話をすることも何もかも許されませんでした。
貧困にも苦しめられました。学校で必要な学用品を買ってもらえない、友達と遊びに行くお金がない、流行りのゲームなんてとんでもない。
家もボロボロでよく学校で友達にからかわれていました。
中学生くらいからは、常に倦怠感や不眠に悩まされるようになりました。
突然、頭が真っ白になったり急に動悸が早くなって息苦しくなったりすることもありました。
高校生になると、テスト前やプレッシャーがかかることがあると、手が震えて声が出なくなるということもありました。
それでも、母からは相変わらず
「あんたは心が弱すぎる!」
「子供なんか産むんじゃなかった!」と言われ続けました。
中高生の頃は、付き合う友人や着る服を指定されていました。男友達との接触にも神経質に干渉されるようになりました。
大学からは一人暮らしをはじめました。母には反対されましたが、とにかく家を出たかったんです。
一銭も出さないという約束をされ、県外で一人暮らしを始めました。
本当に一銭も出してくれなかったので、学費も生活費もすべて自分で出しました。
憧れの大学生にはなったけれど、他の学生のように遊ぶことはできず毎日、朝から晩までバイトをする生活でした。
もともと、不安定だった心と身体のバランスが崩れて、家から一歩も出られない、夜も眠れない、常に体調が悪いという状態になってしまいました。
一日中、部屋で泣き暮らすという日々でした。
克服のきっかけ:気まぐれに取得した資格が私の人生を変えた
最初に、私を救ってくれたのは今年で結婚10年目になる夫です。
大学生の時、とうとう家から出られなくなった私を病院に連れて行ってくれました。
病院での診断は不安障害、心身症というものでした。
さらに、軽度の発達障害があるかもしれないと伝えられました。
発達障害の診断を受けることを勧められましたが、検査料に数万円かかることと保護者への聞き取りが必要なことがネックとなっていまだに検査は受けていません。
当時は、どうしても母と会話をすることが嫌でした。
私が一人暮らしを始めてからは、母は私の生活を気遣ってくれるどころか、バイトをしているならお金をかしてくれとお金の無心をするようになっていました。
あれほど、私の生活に干渉していたのに家を出た途端「私があんたを育てる義務は終わった。あとは好きに生きればいい。」
と言われ、急に見放されました。
たまに連絡してきてはお金を無心する母に嫌悪感すら抱き、そんな自分も嫌でした。
一方で、病院では安定剤と漢方を処方されました。最初は服用に抵抗がありましたが、体に合っていたようで、みるみるうちに元気になりバイトも大学も再開することができました。
病院からはストレスの大きな原因となる母親とは極力接触しないように言われました。
夫とは授かり婚でした。それは、男性との接触に異常なまでに厳しかった母への反抗の気持ちもあったのかもしれません。
結婚式もあげずに母の干渉は一切受けずに結婚生活を送ることを決めました。
子供を出産してから、どうして母は私と姉をあのような育て方しかできなかったのか、不思議に思うことばかりです。
こんなに可愛くて愛しい存在をなぜ、あんなに邪魔者扱いして自分の所有物のように扱ったのか、今でもわかりません。
ですが、一方で愛情をかけられた経験がないため自分の子育てにいつまでたっても自信が持てませんでした。
子育ての悩みが増える2歳ごろには、一時期飲まなくても安定していた薬をまた服用するようになっていました。
そんな時、ほんの気まぐれで家事と子育ての合間に資格を取得しようと考えました。
たまたま、新聞の折り込みチラシでみた通信講座にひかれて講座を受講し資格を取得しました。
それが、保育士の資格です。
せっかく資格を取ったのだから生かして働きたいと思い、学童保育の指導員として働き始めました。
そして、それが私の人生を大きく変えてくれました。
それほど子供が好きなタイプではないので初めは仕事が務まるか不安でした。
ですが、私には子供たちの心の叫びがとてもよく伝わってきました。
自分が経験して嫌だったこと、言われて嫌だったことなど、恵まれた家庭環境で育った人にはわからない子供達の気持ちが私には手にとるようにわかりました。
発達障害の子供もたくさんいます。
診断はついていませんが軽度の発達障害の可能性を医師に言われた私には、発達障害の子供達の気持ちや行動もわかるような気がしました。
まずは、子供達と信頼関係をうまく築くことができ、それによって保護者からの信頼も得ることができました。
子育てに自信が持てない母親の気持ちもわかるため、そんな母親たちへの子育て講座を企画してとても喜んでもらえたこともあります。
仕事はとても楽しく、私にとっては天職ではないかと思います。
辛い経験もすべてこの仕事に生かすためにあったのではないかと感じています。
さらに、たくさんの親子と接するうちに、「普通の家庭」をたくさん見ることができました。
それは、私が悩んでいた子供にどう接すればいいのかわからないという時のロールモデルにさせてもらうことができました。
私は、保育士という仕事に出会って、自分の居場所を見つけました。
母に保育士になったことを告げると「あんな、しんどいだけの仕事!」と吐き捨てられましたが、昔ほど落ち込むことはありませんでした。
私自身が保育士という仕事に誇りをもち私の人生は母とは関係ないということに気が付くことができたからだと思います。
気づき:私の人生は私の物として前を向いて生きていく
私は長年、母との関係や貧困に悩まされてきました。
今は、夫や家族に支えられながら自分の力で収入をえて自分の思うような人生を歩んでいけることが本当に嬉しいです。
今でも昔の母のことを夢に見ることがあり、気持ちが落ち込むことがあります。
ですが、私の人生は母には関係ない私だけの物ということを胸に、前を向いて生きていこうと思っています。
周囲の人や時には薬に頼ることがあっても、自分らしく生きていけることが今は幸せです。
自分が自分としていられる居場所を見つけることができたことが、私が生きづらさを少し克服できたポイントだと考えています。
おわりに ~天職に出会うということ~
自分の人生の意味とは、、。
これを考える上で、
「自分の居場所」
そして
「自分の役割」
を見つける事はとても大切なことです。
その自分の役割が、
“世の中にとって意味のあること”
であれば、
なおさら生きる勇気が湧いてくるでしょう。
この体験談を、読んでいてとても印象に残ったのが、
保育士の仕事をお母さんに告げて否定的なことを言われて、落ち込まなかったこと。
これに対して、
私自身が保育士という仕事に誇りをもち私の人生は母とは関係ないということに気が付くことができたからだと思います。
と言っていたこと。
まさにこのことは、
過去の呪縛から解放されて、
自分の人生を生きている人だからこそ、得られた気づきだと思います。
何気ない気持ちで、取得した保育士の資格が、人生をがらりと変えてしまいました。
世の中の人は、天職を見つけたいと考えている人はたくさんいると思いますが、
天職とは、ふとしたこと、何気ないことがきっかけで突然転がってくるかもしれません。
天職とは、英語で「colling」と書きます。
他に「使命」とも訳されます。
つまり天から与えられた使命が、天職だと思うのです。
それを見つけて、その使命を懸命に全うしている人は、親や他人に何か言われたところで、ブレる事など決してないですよね。