不妊治療から離婚、、。
この苦しみをどう乗り越える?
目次
はじめに
このサイトでは、一般の方から挫折の体験記を募って克服の経緯や気づきなどをシェアしていきます。
今回は不妊のストレスから夜叫症、不眠に苦しみ、離婚にまで至った経験をした女性から、
体験談の文章を提供いただきました。
その女性は、一連の辛い経験から”ある気づき”を得たそうです。
その”気づき”を経験することは、不妊に限らずあらゆる苦悩を経験している人に役に立つのではないかと考えられます。
不妊のストレスから夜叫症、不眠症に。
発端 ~新婚生活のある日、お腹に腫瘍が~
30歳前半で結婚しましたが、数か月しておなかがやたら出てきました。
妊娠したのかなと思って病院に行ったところ、
「腫瘍があります。かなり大きいです。紹介状を書きますので、すぐにMRIを撮ってください」
と言われてびっくり。
そしてMRIを撮ったところ、
「とても大きな子宮筋腫があり、位置が悪いので取ったほうがいいです。でも腫瘍が大きすぎて今すぐ摘出するにはかなり切らないとダメなので、注射で小さくしてから摘出しましょう。手術後は妊娠しにくくなります。手術するまでに妊娠したほうが良いです。」
と言われました。
そこでとりあえず半年間、注射で腫瘍を小さくする治療を行うと共に、手術までに妊娠するように妊活にも励むことにしたのです。
半年間は短いようで、長い治療でした。私は痛みには強いほうなので、お尻に打つ注射もそんなに辛くはありませんでした。
それよりも私が気にしていたのは、妊娠のことです。
手術後は、妊娠しにくくなると言われたので、とにかく気持ちが焦るのです。
半年後に手術予定とは言え、果たして半年で無事に妊娠できるのかどうか不安でした。
というのも、婦人科で検査をしてもらうと、私は排卵がきちんと起きていないことが分かりました。
黄体ホルモン機能不全という症状です。
そこで排卵促進剤を飲んで、タイミング治療で妊娠しやすくすることにしました。
夫婦仲は良かったものの、主人はあまり性欲が強いほうではなく、性行為もそんなに頻繁ではありませんでした。
けれども半年で妊娠しなければと思うと、主人にもついつい「頑張って」と行為を促してしまいます。
ウナギなど精の付くメニューも増やしました。
主人も子供は欲しかったので頑張ってくれましたが、しんどそうなときもありました。
子宮の腫瘍のほうは注射のおかげで少しずつ順調に小さくなり、半年後の手術の計画は着々と進んでいました。
それと同時に、妊娠への焦りは強まるばかり。
結局半年経って手術をする日も決まり、妊娠はできないままでした。
手術は全身麻酔で2時間。おなかは14センチ切りましたが無事に腫瘍は摘出できて、検査の結果良性だということも確認できました。
術後咳が止まらなくなるなどの症状が出て入院が長引き、2週間後に退院。
周りは、「腫瘍が取れてすっきりしたね」と言ってくれましたが、その頃の私の頭の中は、
「妊娠できるのか」とそのことばかりでした。
先生に相談して、不妊治療を続けることになりましたが、先生がこんなことを言ったのです。
「妊娠しにくい体質なのは、子供時代に栄養がきちんと摂れていなかったことも関係しています」と。
実は私は両親が離婚して、父に引き取られて父子家庭で育っていました。
小学生の時分から私が料理を作らなければならず、栄養が足りていなかったのは納得がいきます。父は再婚を繰り返していました。
先生にそのことを指摘されてから、私の身に恐ろしいことが起こるようになりました。
夜中、父を殺して血だらけになる夢を見るようになり、「キャーッ」と叫んで起きてしまうようになったのです。
夜叫という症状です。子供ができないのは、父との子供時代の暮らしに問題があったということ。
そのことが父への恨みのようなものに変わってしまったのでしょう。また子供時代に抱え込んでいた辛い思いが、今頃になって出てきたようでした。
そしてさらに、その夢を見たくないと思うと眠れなくなりました。
寝たら夢を見るから、寝るのが怖くなってしまったのです。
寝不足が続き、昼間も身体がだるくて気分も滅入ってきました。周りは出産ラッシュでどんどん赤ちゃんが生まれています。
ママになった友達と連絡を取るのも辛くなってきて、距離を置くようになりました。
こんなままでは鬱病になってしまうと思い、精神科に行って精神安定剤や不眠の薬をもらいました。
まさか不妊のせいで、精神科にまで通うことになろうとは思ってもみなかったことです。
妊娠もする気配がありませんでした。
不妊のせいで離婚にまで。
妊娠しないことでのストレスはどんどん増していきました。
主人の実家に行くことも憂鬱です。孫ができることを心待ちにしているご両親に、会うのが辛いのです。
さらに性欲の弱い主人は、性行為をすることがプレッシャーになってきたようでした。
妊娠したいという気持ちはこんなに強いのに、思うように性行為もできず、タイミング治療は難しい状態になってきました。
排卵を促進する注射を打ち続けていましたが、ストレスもあるのかやはり排卵も乱れます。
それ以上の治療をするとなると、かなり費用もかかります。
主人は転職もしており、私は不妊治療をきっかけに正社員も辞めています。高額な治療費を払うことはなかなか厳しい状況でした。
実はその頃、夫婦仲もこじれてきていました。私は治療に疲れていましたし、精神科の薬を飲んでもぐっすり眠れずにいました。
主人も主人で、そんな私に疲れてきたのでしょう。だんだんと会社からの帰りが遅くなり、朝帰りも増えてきました。
もしかすると浮気をしているのかもと思うときもありましたが、それを問い責めるほどのパワーもそのときの私にはありませんでした。
そうして性行為もなくなり、だんだんと婦人科に通うことさえ億劫になってきたのです。
とにかく癒されたい、ぐっすり眠りたい、そんな気持ちでいっぱいでした。わけもなく泣けてくる日が続き、主人が朝に帰って来てもどうでも良くなっていました。
そして結婚6年目の年末に、主人に切り出されたのです。「1人になりたい」と。
つまり、離婚したいということです。
私は、特に止める気にもなりませんでした。「そう……、分かった」、力なく、そう言いました。
主人は私よりも5歳年下だったので、子供が産める女性と再婚したほうが幸せになれるようにも思いました。
主人のご両親だって、あんなに孫を望んでいるのだから。
特に未練もありませんでした。不思議なほど冷静な自分がいて、これを機会に不妊治療も終われると思うと解放感さえ覚えたくらいです。
不妊治療は、私の人生を大きく変えました。
そして、とても嫌な過去も蘇ってしまいました。
良いことひとつない子供時代、そして父への嫌悪感が私を苦しめる。
離婚して、私は一人暮らしを始めました。
克服のきっかけ:まずは親を許すことから始めよう。その気持ちが状況の回復に。
結婚前も一人暮らしをしていましたが、また一人になり、私は正社員として新しい職場で働き始めました。
経済的に厳しくて、とにかく仕事に追われる日々でしたが、それがかえっていろいろ考えずに済んだようです。
私は親とはほとんど連絡を取っていませんでしたが、離婚したことは報告しないといけないなと思っていました。
そんなある日、父からとても久々に電話がかかってきたので、離婚したことを話しました。
父はとても驚き、久しぶりに会うことになったのです。
不妊のことも不眠や夜叫のことも、何も父には話していません。父への嫌悪感を抱いたまま、どんな顔で父と会えば良いのか分かりませんでした。
でも思ったのです。全部話してしまおうかと。
そして、この決断が、すべてを克服する良いきっかけになりました。
父と食事をしたときに、離婚の原因なども聞かれたので、すべてを話したのです。
話しているうちに自分でも驚くくらいに泣けてきて、でも全部話したときは心の中のモヤモヤが消化した感じでとてもすっきりしました。
父は、私に謝ってくれました。
「子供なのに大人の勝手で迷惑をかけてしまって、悪かったな。でも、子供達のことはいつも大好きやったよ」と。
そしてかばんの中から、「いつも持ってるよ」と、私と弟の子供のときの写真を見せてくれました。
そんな写真を持ち歩いているのは知らなくて、嬉しくてまた涙が溢れてくる。
いつの間にか、父のことを許している自分がいました。
自分だって離婚したのだから、父と母にもいろんな事情があったはず。
そして父を一人の人間として見ると、いろいろと尊敬できる面も見えてきました。
その日の夜、わたしは本当にぐっすりと眠ることができました。
それを機会に、不眠の薬も手放し、父との関係も良好になったのです。
新しい環境で、また頑張って行こうとそう思うことができました。
気づき:不妊治療は必死になりすぎないこと。子供時代の辛い気持ちは、消化させることが大切。
子宮筋腫をきっかけに不妊や不眠、離婚などいろいろな挫折を味わいましたが、
今思えば、不妊治療に必死になりすぎて夫婦の楽しい時間を持てていなかったと思います。
そのことが離婚にもつながりました。
不妊に苦しんでいる人は治療のことで頭がいっぱいになりがちですが、二人の時間を大切にして欲しいです。
そして私と同じように、親が離婚して親との関係がうまくいっていない人もいると思います。
私は、子供時代に我慢していたことが大人になって、父を殺す夢を見て叫ぶという症状として現れました。
でも父と腹を割って話すことで、とても楽になり、心の中の辛い気持ちも消化できました。
思い切ってすべてを話してみること、これはとても大切だなと思います。
今は、両親のことを一人の人間として見ることで、尊敬できる面も多々あります。
親の離婚で親を許せないという気持ちがある人は、
親のことを一人の人間と客観的に見るようにすると穏やかな感情になれるのではないでしょうか。
おわりに ~親を許すこと~
親を許すことの大切さを教えてくれる貴重な体験談でした。
私(管理人TOMO)自身、うつ病になったときに、
「この病になったのは、両親が俺を否定的に育てたからだ」
「両親はいつも兄と比べて俺を否定する。だから何事も自信が持てない」
「親が死んでも葬式になんて絶対行かない」
「殺したいくらいだ」
と本気で考えていました。
でも私も含めて親に恨みを抱いているのって、
大抵は自分の行動を棚に上げて、周りのせいにしているもの。
それでも親が許せなくて深刻に苦しいのは確かなこと。
だから辛いし、余計に自分を責める。
親が離婚していない私ですら、うつになったときに死ぬほど親を憎みました。
それはそれで、両親の仲の良さがムカつくのです。
そんな時に私は斎藤一人さんや「引き寄せの法則」関連の本、また初期仏教関連の本に出合いました。
中でも”世代間トラウマ”の本には衝撃を受けたのを覚えています。
親子間(もしくは家族間)でマイナスな感情を抱いていると、無意識にその次の世代までそれを引き継ぐもの。
親へのわだかまりや反面教師の心をもったまま、大人になると次の代でもそれを繰り返す傾向があるのです。
しかし、それはつまり、「親にも事情があったんだ」と理解して、親を許すことで、
今後の自分の人生を良くすることも意味しています。
(参考:親を許すとお金と人間関係が好転する)
親を許すことで、自分を許し、自分を癒すことにつながるのです。
親の離婚で親を許せないという気持ちがある人は、
親のことを一人の人間と客観的に見るようにすると穏やかな感情になれるのではないでしょうか。
まさに人生の核心を突いたような、気づきだと思います。
私もちゃんと親を許せているかは怪しいです。
何にかイライラしていると感じている時、親をご飯にでも誘おうかなと思いました。
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