高校中退はやっぱり苦労する??
私が20年以上前に経験した、高校中退体験を3つのブログ記事(三部作)にまとめてます。
【前回までのブログ】
>>後悔の無い高校中退!私の体験記三部作① ~中退のきっかけ~
>>後悔の無い高校中退!私の体験記三部作② ~退学を決意できた理由~
今回は、退学してから就職するまでの苦労話?を赤裸々に綴っていきます。
そして「中退と後悔」について今思うことを綴っていきます。
目次
体験記最終章 ~退学から就職まで~
退学した後の解放感
高校退学したのは、3年生の6月の事でした。
とにかくもう高校に行かなくていいことが、相当嬉しかったです。
それまで、勉強がんばって、良い大学に入って周りを見返してやる!という一心でがんばっていたのですが、
そんな事は嘘のように忘れてしまっていました。
野望を達成することより、苦しみから解放されたことの方が、圧倒的に嬉しかったのです。
しばらく、精神科でもらった薬は飲み続けていましたが、夜の眠りも、約1年ぶりにぐっすりと眠ることができました。
またあまりにも嬉しくて、服を買いに行ったのを覚えています。
不思議なことに、その時は将来のことを心配するという感覚はなかったと思います。
心配した記憶がほとんどありません。
客観的に見たら、高校を中退して喜んでいるなんて、なんてバカな奴だと思いますよね。
高校中退して、ぐっすりと睡眠できる夜を、何回か過ごすうちに、見る見る体が蘇るのを感じました。
太っていた体も、少しずつ戻っていて、表情もすっきりしてきました。
体が元気になっていくと、
「元気があれば何とかなる」
「今はだめだけど、自分のペースで頑張ればきっと大丈夫」
そんなことを自然に思えるようになっていったのです。
病的な、強迫観念はその時はもうほぼ消えてい、通院も終了しました。
でも時々学校に行く夢を見て、うなされるあったようです。
目が覚めて我に返ると、退学したことに気づいて、また安心したものです。
大検の予備校に行くが、結局遊びまくってしまい大検には不合格
家にいて、アルバイトをしながら、自分のペースで勉強するのも良いのですが、結局親の勧めで予備校に通うことになりました。
予備校は、高校と違って毎日通う必要もなく、自分の体調に合わせて通うので、とても気楽に通えました。
大検の予備校ですから、私と同じように心を何らかの理由で渋滞したり、不登校を経験していたり、おんなじような経験を分かち合える仲間がたくさんいたのです。
正直言うと、ちょっと不良っぽい子もいました。
私はどちらかと言えば、そういう仲間と遊ぶことが多かったです。
見た目はやんちゃで、ちょっと怖い輩でしたが、本当に心が優しく、実は頭も良かったりします。
ロン毛で、金髪で、タバコもスパスパ吸って、鼻にピアスを開けているような友達もいましたが、
一発で大検に受かって、有名私立大学や、国立大学にも合格していました。
その友達は国立大学に行きましたが、その後どうなったかは知りません。きっと自由な人生を生きているのでしょう。
私はと言えば、大検の予備校に入ったのは良いのですが、気の合う仲間がたくさんできすぎて、また彼女まで作ってしまって、結局は遊び呆けてしまいました。
私が体験を受験した年、1997年頃は大検の試験は年に一度8月ごろに開催されて、その試験に受からなかったら、次の年度まで浪人ということになります。
私の場合6月から、体験の予備校に通い始めて、勉強をして、8月に試験です。
本番まで2ヶ月しかないのに、大検の予備校に通い始めて、遊び呆けてしまったら、当然不合格になります。
当時、大検の予備校でできた友達は、ほとんど合格していたのに、私だけ不合格になっていった形です。
ちなみに、当時付き合っていた彼女も、同じく大検を受験したのですが、すべて不合格でした(笑)。
まぁ似た者同士の、バカップルだったのかもしれません。
それでも、何の焦りもなく、アルバイトと遊びに明け暮れていました。
高校が、私立の男子校だったので、異性と付き合えることが嬉しくてしょうがなかったのは確かです。
いつしか、予備校に通うことすらサボり始めてしまい、また親や兄弟とも喧嘩することが多かったです。
今思うと、親からすると最低の息子でした。
でも今振り返ってもあの時の自分は、幸せだったし、人生で一番輝いていたと思います。
高校を中退することが、こんなに楽しい結果になるなんて、夢にも思わなかったです。
(※あくまで、私個人の見解です)
翌年、大検に合格するがその後遊んでしまい、大学は全部不合格
高校を中退した翌年、最初に付き合った彼女とは別れてしまい、別の彼女と付き合っていました。
その時の彼女は、前の彼女よりも少々頭が良かったので、大検の受験も、大学受験も壱発で合格してしまいました。
さすがに焦った私は、必死に勉強して、苦手科目である、国語と家庭科を克服して、なんとか大検に合格することができました。
ちなみに、当時の大検では、国語と家庭科が原因で不合格になる人がたくさんいました。
大検に合格した私は、また浮かれてしまいアルバイトと、遊びに走ってしまいました。
カラオケにゲームセンター、服を見たり居酒屋、パチンコ、タバコも止められなかったですね。
髪を金髪に染めて、体中にジャラジャラした装飾品、タバコをくわえながらパチンコをしている姿は、完全にヤンキーですよね。
今の私が、当時の自分を見かけたら、絶対に近寄りたくないタイプです(笑)。
正直なことを言うと、当時もはや大学に行くことなんてどーでもよくなっていました。
大家には合格したものの、現役生に混じって再び大学に通うことが、なんとなく怖ったのでしょう。
大学に受かって、普通の生活に戻ることが嫌だったんだと思います。
親のスネをかじりながら、バイトで稼いだ金を全部自分の遊びに使って、やりたいようにやる毎日。
誰にも縛られない毎日が、居心地がよくて仕方なかったのです。
それでも、そんな自分に危機感を感じていたことも確かです。
その年に、医療系の大学を複数受験しましたが、勉強なんてほとんどしていなかったので、当然全て不合格でした。
その時から、医療系の大学に行きたいと言うことが、なんとなく心の中で芽生えていました。
理由はよくわからないのですが、こんな腐ったような人生を送っている自分でも、
「人の役に立っている感覚を得たい」
という思いがあったのでしょう。
不合格通知を見た瞬間、普通の生活に戻らなくていいと言う安堵感と、
社会からつまはじきにされたような虚しさ、そんな気持ちが入り混じっていました。
それでも当時付き合っていた彼女はそこそこ有名な大学に通い教職課程に行くことになり、同じように高校中退経験があるにもかかわらず、順調にキャリアを積んでいました。
そんな彼女を疎ましく思っていた時期があるのも確かです。
自分が中ぶらりんの、どっちつかずの人生を送っているにもかかわらず、
卒なく大検と大学受験をクリアし、キャンパスライフをエンジョイしている彼女が羨ましくて、見ててイライラするのです。
喧嘩することも多かったし、そんな私の心のもやもやが原因で別れてしまいました。
我ながら
「なんてめんどくさい男だ!」
と思います。
勉強をほとんどしていなかったとはいえ、
受験した大学が全て不合格になるのは、
やっぱり辛い経験でした。
孤独の中アルバイトと勉強を両立して、リハビリの専門学校に合格した。
高校辞めてしまい、
大検には2回目でなんとか受かったものの、大学受験は大失敗。
周りから取り残されて意欲が湧いてこない。
そんな状況の中でも、やはり危機感は感じていたので、
アルバイトと勉強を両立しながら生活していました。
さすがに、親にも見放されてきていたので、自力で学費を稼いで医療系専門の予備校に入ることにしました。
医療系専門の予備校は、主に現役生が多く、雰囲気はワイワイきゃぴきゃぴしており、全然馴染めませんでした。
そんな中、社会人を一度ドロップアウトして、再び医療系の学校を受験しようとしている人たちもいたので、
数少ないそういう人たちとお話しするようになりました。
でも、私は高校中退であり、どこかヤンキーフレイバーなところがあって社会人経験者の人からは、若干距離を置かれている感じありました。
収入はといえば、回転寿司のアルバイトをしていましたが、
バイト仲間はみんな現役高校生で、全然話があいません。
予備校でもバイト先でも、孤独を感じながらひたすら、
「とりあえず医療の学校に行こう。医療系の資格を取れば、誰にも頼らず生きていけるかもしれない」
との思いで、仕事と勉強をし続けました。
大検の予備校時代に付き合っていた、仲間はその時はもう音信不通です。
無事に大学に行った仲間もいれば、悪い組織に入っていた仲間もいます。
私には、悪い組織に入っていく度胸もなかったので、
そんな仲間から逃げるように予備校を変えて、携帯電話も変更してしまいました。
ヤケクソな人生でしたが心のどこかに、自分を大切にしたいという思いがあったのでしょう。
予備校とアルバイト先で、ほとんど孤立していましたが、それぞれで1人ずつ親しい友達ができました。
孤独で、誰とも関わらない予備校時代を乗り越えられたのは、その仲間の存在が大きかったかもしれません。
そうでなくても、自分で高校辞めて、自分で選んだ道だから乗り越えるしかないのですが。
バイトと勉強の両立の甲斐あって、何とか医療系の専門学校に入学することができました。
当時医療系の専門学校は、専門学校といえども倍率は約8〜10倍程度。
合格できたのは、まぐれだったかもしれません。
実は補欠合格なんですけど…。
高校時代の勉強の仕方は、ただひたすら時間をかけて復習するやり方、
同じところを何度も何度も読み返したり、
書き取りの練習をする、かなり効率の悪いやり方をしていました。
時間が無駄にあったからできた技なのでしょう。
今回浪人生活での、勉強の仕方は、よくも悪くも親から「予備校代を出さない」と宣告されたため、
自力で学費を稼ぐしかなかったです。
バイトをしながら勉強していたので、勉強時間はかなり限られていました。
だから教科書に線をひいたり、マーキングしたりして、
それに目を通して一発で記憶するという効率的なやり方でないと、
この受験戦争を乗り切ることができませんでした。
その勉強法はその後の私の人生に大きく役に立ちました。
医療の専門学校時代の試験や国家試験等は、
何度も見たり書き込んだりするという、非効率なやり方では身も心も消耗してしまいます。
そういうやり方を否定するつもりはありませんが、
留年の多いリハビリ学校で、何度も留年するメンバーは、勉強のやり方を変えられない人たちだったような気がします。
リハビリの専門学校はハードだった
高校卒業できなかった私が、普通の専門学校に入学して、無事に卒業できるのか…。
という不安を抱えたまま、リハビリの専門学校に入学しました。
何が1番不安だったか?と言えば、
朝起きることが不安でした。
大検の予備校時代から、専門学校受験の予備校時代も含めて、朝起きる時間は9時から10時でした。
夜11時ごろまで、アルバイトをしていたので、朝早く起きる事は全く慣れていません。
専門学校は、9時から授業が始まるので、通学時間を考えると、朝7時半には起きなければなりませんでした。
そんな普通な生活が、
当時の私にはとても不安で仕方なかったのです。
あと専門学校は授業時間は平均的だったのですが、習う内容がとても多く、定期試験もとても厳しいものでした。
1学年定員が30人で、入学してみると37人程度の生徒が私のクラスにはいました。
どういうことかと言えば、
37人中6人は、昨年度1年生から2年生に上がれなかった留年した人たちです。
なんて厳しい学校に入ってしまったんだ…。
そんな絶望感、不安感を抱えながら新生活がスタートしました。
医療の学校、つまり私が行ったリハビリの専門学校は、
解剖学、生理学、病理学、
リハビリテーション医学、内科学、神経内科学、
精神医学、心理学、臨床心理学、ドイツ語、
等々を約2年かけて習得し、そして最後の1年は臨床実習というスケジュールでした。
これがなかなかハードで、同級生は何人か留年していくし、
いつ自分が単位を落として留年するか分からないという緊張感が常にありました。
またレポート提出も多く、それまで全く触ったことのなかったパソコンを、
嫌でも習得しなければならなくなりました。
それでも、私の感覚としては高校時代よりも辛くはなかったです。
明らかに勉強の内容も専門的だし、
覚えなければならない知識の量も、リハビリの専門学校の方が多かったです。
それでも、はっきり言える事は、高校時代の方が地獄のように辛かった。
そして私は、1度も留年することなくリハビリの専門学校を卒業することができました。
しかも卒業試験の成績はは首席で。
なぜ高校中退したわたしがリハビリの専門学校をストレートで卒業出来たのか?
なぜ高校時代は、勉強のストレスに耐えられず、留年が決定して退学してしまったのに、
リハビリの専門学校はストレートで卒業できたのか?
それはやはり習っている内容が、
楽しかったからです。
苦しさの中にも楽しさがあれば耐えられるのです。
高校時代とは違って、勉強している内容が、”生きた知識”に感じられました。
「これを覚えることによって、人の役に立てる」と思えるのです。
この考え方は人それぞれだと思いますが、
数学の微分積分を覚えて、人の役に立てるという感覚はなかなか得られにくいです(僕のような凡人では)。
でも、糖尿病に対するリハビリテーションの鉄則や、
骨折した人に対する筋力訓練の仕方などを覚えたら、絶対に役に立ちますよね。
とにかくリハビリの学校で習った知識は役に立つかどうか?がわかりやすいです。
後は、医療の学校には何らかのかたちで、過去に傷ついた経験がある人が、多いように思います。
私のように高校中退した人間もいれば、大学を卒業できずに退学してしまって、再スタートした人。
そして、
いい大学を卒業して、大企業に就職したにもかかわらず、
体調崩してしまって退職し医学の道を志した人もいました。
挫折を味わった人、孤独を経験した人同士は、深いつながりが得られやすいように思えます。
だからお話をしてても面白いし、自然と心を許すことができます。
勉強の内容が面白かったこと、
一緒に勉強する仲間が自分の境遇に似ていた事は、
今考えると留年せずに3年間で卒業できた大きな要因だったと思います。
国家試験に合格して無事社会人に
そして、無事に国家試験をクリアして、都会の医療機関に就職しました。
そこから紆余曲折ありましたが、
医療人としてのキャリアを順調に積み、現在に至ります。
おわりに ~高校を中退して後悔していないか?~
「高校中退したことに後悔はない」と
ハッキリと言えます。
ただ高校中退して、
本当によかったか?
余計な苦労をしていないか?
それは今でもわかりません。
正直、就職試験の面接をするときに、
そのことを聞かれたりすると辛いと感じるときはあります。
転職をするとそのたびに、履歴書にある「高校中退」の事について聞かれます。
それで落とされたことは、今のところないのですが、
「高校中退してよかったか?」
なんて、死ぬ瞬間までわからないと思います。
このブログを読んでる人ががもし、
高校中退して大丈夫かな?と迷っているなら、
「中退した方が良いよ!」
とははっきりとは言えません。
人生が良いふうに転がるか、悪いふうに転がるかは、
中退して実際に自分で確かめてみないとわからないことです。
でも、一つだけはっきりしていることがあります。
今あなたが、
・生き地獄のようなとても辛い状況
・本当に死にたい状況
にあるとしたら、
高校を中退することで、
今よりマシな状況になる事は確かだと思うのです。
今の状況は、自分にとって良い状況なのか?
常に自問してください。
ストレスは人を強くして成長させると言います。
ただ、度を越したストレスは「実害」になるかもしれません。
まぁなんにせよ、
自分で考えて自分で決めて、
自分で行動起こすしかないと思います。
私の経験が全ての人の参考になるとは思っていませんが、
参考になればと思い、20年以上前の記憶を辿り高校中退経験を全て晒しました。
読んでいただきありがとうございました。