後悔の無い高校中退!私の体験記三部作② ~退学を決意できた理由~

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前回の体験記記事(→後悔の無い高校中退!私の体験記三部作① ~中退のきっかけ~ )の続きをお伝えします。

高校に行けなくて悩んでいる方や親御さんの参考になればと思います。

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目次

高校中退体験記三部作続き ~逃げるように退学を決意~

学業も不振になり、人が怖いと感じ始める

強迫観念の影響からか、薬の副作用の影響からか、

どちらか分かりませんが、この時期より学業に対する意欲が、ほとんど無くなってしまいました。

幸か不幸か、特別進学クラスに入ってしまったので、

勉強のカリキュラムはハードなものになり、また定期試験も難易度が上がります。

1年生の時以上に、やる気を振り絞らなければならないし、

もし一定水準を満たさなければ、容赦なく留年が待ち受けています。

当時の私は、

「もし高校で留年したら、もう人生終わりだ」

と考えておりました。

だからなんとしてでも、定期試験だけは乗り切って、

高校3年生の後半からスパートかけて、良い大学に絶対に入ることをと決めていました。

その無理な執着心が、

その後の自分をさらに苦しめることになるのですが、

自分が苦しむことより、その苦しんだ先の有名大学に合格することという夢の方が、私にとって大事でした。

しかし授業の内容は全然頭に入ってきません。

それどころか授業中にぼーっとしてしまったり、居眠りをしてしまったりして先生からはよく怒鳴られたものです。

授業中に立たされて、

「やる気がないなら帰れ」とよく言われました。

先生に怒鳴られるたびに深く落ち込んで、

また周りの生徒にも笑われることによって、学校に行くのが怖くなってしまいました。

そして学校で人に会うこと自体がとても怖くなりました。

こんなことでは、いじめに遭うんじゃないか?

という、強迫観念にずっと襲われていました。

小学校や、中学校の時にいじめにあった経験があるので、

「もう二度といじめられたくない」

という気持ちが強かったです。

だからこそ高校に行って、

「自分を変えて、勉強ができる立派な人間になりたい」

「いじめられるような要素のない人間になれば、いじめに怯えることもないだろう」

そのように考えていたのです。

実際に勉強ができたからといって、

いじめられない保証など、どこにもないのですが。

私は、高校ではちょっとツッパっている、不良キャラを演じていたこともあって、

高校でいじめられる事はなかったです。

しかし、私立高校の進学クラスといえども、いじめられている男子がいました。

頼まれ事を断れなかったり、少し気弱そうな顔をしていたり、

優しくていいやつに限って、クラスでいじめに遭っていました。

自分の体調が悪い時に、目の前でいじめを目の当たりにすると、

自分が当事者でもないのに、非常にストレスを感じてしまいます。

いじめを見るのが嫌だから、学校が行きたくなかったと言うのもあり、よく学校休みました。

親からは、

「あんたがいじめられてるわけでもないのに、なんであんたが学校休まなきゃいけないの?」

と強く迫られたものです。

そう言われると、家にも学校にも、自分の居場所のなさを感じてしまいます。

高校2年生の時は、成績はビリから2番目くらいで、なんとか留年は免れました。

しかし心も体も疲弊しており、クラスの人間関係に対する恐怖心も、そろそろ限界になってきていました。

高校2年生の時の、1年間の欠席日数は、留年ギリギリだったと思います。

それぐらい、学校に行けない日も増えてきました。

3年生にはなれたが、不登校になる

高校2年生は、なんとかギリギリ進級することができ、無事3年生になりました。

身も心もヘトヘトの状態でしたけど、何とかあと1年頑張れば、とりあえず高校は卒業できる。

そして受験戦争に勝ち抜いて大学に行けばでしばらくは休める。

そう考えていましたが、高校3年生になるとさらに勉強が難しくなり、宿題の量も増えます。

進学クラスでしたから、とにかく独自のカリキュラムで、私にとっては死ぬほど忙しかったです。

朝は8時から授業が始まり、夜7時まで勉強することがありました。

詰め込み学習でしたので、気が休まる暇はありません。

また周りの他の生徒も、高校最後の1年でまた受験生ということもあり、一気に勉強し始めるのです。

仲の良かった友達も、私と似たり寄ったりの成績だったのですが、3年生になった途端に、ガリガリ勉強するようになりました。

当時はまさに裏切られた気分でしたが、仕方ないですよね。

心も体も疲れ果てている私にとっては、もうどうしようもありません。

劣等感と焦りから、さらに体調が悪くなり、強迫観念も強くなりました。

とうとう、高校3年生のゴールデンウィークを開けたあたりから、不登校になってしまいました。

ついに定期試験も欠席してしまったので、

高校3年生の5月の時点で、留年はほぼ確定しました。

その当時、学校を休んで家で引きこもっているものの、心は落ち着かず、

家で寝ているのに、常に胃がズキズキ痛い状態でした。

学校休んでいることの罪悪感や、親に対しての申し訳ない気持ちもあります。

そして学校に通っている友達のことを思ったり、「中学校時代の時の友達は今何をやってるのか?」

ということを思ったりして、ひとり部屋の中で焦りと戦っていました。

「このままではもう自分には将来がない。

でもまた学校に行って、前向きに勉強するなんて、とてもじゃないけど考えられない」

そんな状態でした。

退学することを決意する

高校3年生になったとはいえ、5月では既に留年が決まった状態。

結局高校卒業するためには、1年以上かかる事は間違いのない状態です。

留年して、年下の人たちと一緒に勉強するなんて、そんなに強いメンタルは持ち合わせてはいませんでした。

「そんなことをやるぐらいだったら、いっそのこと学校辞めてしまった方がマシだ」

と思いました。

そんな時ふと思い出したのです。

高校の帰りの電車の中で、よく見かける広告で、高校にいけなくなった人が通うための、大検(現在の高認試験)の予備校の広告を。

その広告には、

「勉強についていけなくなった人でも大丈夫」

「自分のペースで通学して、大検をとって大学に行こう」

はっきりは覚えていませんが、そんなニュアンスのメッセージが広告の中にありました。

それを思い出した私は、タウンページでその大検の予備校を調べて、思い切って電話で問い合わせました。

今の自分の状況を、オブラートに包みながら説明をして、

「大検は難しくないか」とか、

「最短で大検を取るには、いつになるか?」

とかいろいろ聞いたような気がします。

そしたら、大検の予備校の担当者の方は、優しい口調で答えてくれました。

「今高校3年生ということであれば、大検の免除科目もたくさんあるので、今年中に大剣に合格することも充分考えられますよ」

「予備校は高校じゃないから、毎日通う必要もないし、中には自宅で勉強して、ストレートで大検に受かって大学に現役合格する人もいるくらいですよ。」

まぁ大検の予備校の担当者は、営業目的もあるので、悪い事は言えないのは分かっていたのですが、

当時の私にとって自分のペースで通えることと、

留年が決まった自分でも現役復帰できる可能性があるということ。

その言葉に大きな希望を見出しました。

高校の授業や、宿題の多さに生活を縛られることなく、自分のペースで勉強すれば、自分ならかなり実力を発揮できるのでは?

仮に体調が悪くなったとしても、その時は自分のペースで休めるわけだし。

「このスタイルは絶対自分に向いている!」

そう確信したのです。

そして自分の中で、

「高校退学する」

ということを決心しました。

そのことを、親に伝えるともちろん大反対されます。

特に母親は、

「留年してでもいいから高校だけは卒業しろ!」

の一点張りです。

母親は泣きながら私に説教して、

「なんとしても高校だけは辞めさせない」

という考えを曲げませんでした。

その時期は、毎日のように母と喧嘩することが絶えません。

ある日、精神的に限界が来た私は、とうとう母親に手をあげてしまいました。

当時私は17歳。

17歳の男子が、母親に暴力を振ったら、それは相当のアザになります。

それを見かねた兄が、すごい剣幕で飛んできて、私に対して殴りかかってきました。

いつも兄のことを恐れていて、喧嘩なんてとてもできなかった私ですが、

その時ばかりは兄に応戦して、兄と本気で殴り合いの喧嘩になりました。

自分の人生を守るために、この喧嘩には絶対に勝たなきゃいけない!

という強い決意があったので、どれだけ兄に殴られても、絶対に自分から折れる事はなかったです。

それぐらい自分も追い詰められていたということでしょう。

喧嘩中にも、そのことを察してくれたには、私を殴る手を止めて、私のことを包容しながら、わざと負けてくれました。

「もうわかった、もうお前はこれ以上苦しむ必要は無い、お前の人生だからお前の好きにすればいい。

お母さんもこれ以上追い詰めるようなことをするな」

それが、私を救った兄の言葉でした。

ちなみに父親はといえば、当時海外勤務だったのでその現場にはいませんでした。

父親の帰国を待ち、父親に今までの経緯を告げて、高校を退学することにしました。

意外にも父親は、あっさり了承してくれたのをよく覚えています。

それどころか、

「息子がこんな思いをしたのは、自分にも責任の一端がある」

そう言ってくれたのを覚えています。

考えてみれば、私はとても運が良いほうでしょう。

20年以上前の、その時代に高校中退を許してくれた親は、今考えるとなかなか寛大な人たちだったのかもしれません。

今では、不登校という言葉はそれなりに社会に定着しており、

フリースクールも充実しているので高校辞める人は、昔ほど珍しくないのかもしれません。

私立の高校に入学して、多額の入学金や授業料を支払ってきた親からすれば、まさに断腸の思いだったと思います。

しかし、私にとっても当時それしか道がなかったのです。

自分の人生を守るために必要な選択だったと今でも思っています。

その後、高校に退学の手続きをして、大検の予備校の入学手続きをして、晴れて高校を退学することができました。

高校を退学する手続きをしに行く時、制服を着ずに私服で行ったので、

周りの生徒に驚かれたのをよく覚えています。

でもそんなことより、

「もうここに来なくていいんだ」

という安堵感の方が勝っていました。

>>後悔の無い高校中退!私の体験記三部作③ ~退学から無事進学!社会人へ~

おわりに

退学した後の解放感は、たまりませんでした。

やはり精神症状がひどく、夜までうなされていたので、

どこかで解放されて、しっかり心を癒す期間を作っておかないと、

私はもっとひどい病気になっていたと思います。

次回はその後の人生をお伝えします。

最終的に無事社会復帰できたのか??

>>後悔の無い高校中退!私の体験記三部作③ ~退学から無事進学!社会人へ~

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