高校中退した私が考える、子供をダメにする親の教育

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この教育で子供はダメになる!、、かも。

私が20年前に、高校中退した時、

父親から、

「お前をこういう風にした、自分にも責任がある」

という言葉をもらいました。

本当は

「親のせいでこうなった」

という事はあまり思いたくないのですが、

親の影響は少なからずあると思います。

今は、私も一人息子の親です。

親の言動が子供に及ぼす影響について、

自分の心の傷や、心理学に関する読書の本でたくさん勉強しました。

そこで、親が子供にやってはいけない教育について10項目まとめます。

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目次

これだけはやるな!子供をダメにする10の教育!

①叩く

いきなりですが、

これはもう最悪です。

私は昔、小学校の宿題がうまくできずに、

親から泣きながら叩かれたことがあります。

それ以外もことあるたびに、平手や拳で殴られたものです。

叩くことを「愛のムチだ」だなんて言うアホな人たちがいます。

人を正しい方向に導くために、暴力は必要でしょうか?

そもそも、暴力の脅威で人を無理やり誘導させようとする人たちが、立派な人間なのでしょうか?

どんな子供でも、親から暴力を受けた時点で、子供は全力で親のことを軽蔑します。
(『幸せになる勇気』より)

殴られて育った子供は、友達を殴るし、

そして自分より強い相手の暴力に屈するようになります。

そして最悪なことに、将来自分が親になった時に自分の子供を殴ってしまいます。

これはあくまで確率の話ですが。

だから私自身、暴力で子供を育てる行為というのは、

自分の代で完全に終わらせてやろうと思っています。

②「昔はもっと厳しかった。お前たちは恵まれている!」と説教

苦しんでいる子供に向かって、

「昔は日本全体が貧しかったんだ。そしてもっと厳しい環境だった。今のお前は恵まれているんだぞ」

そんなことを子供に言って何になるんでしょうか?

自慢したいんでしょうか?

それとも子供余計に落ち込ませたいんでしょうか?

確かにそれを言ったところで、奮い立つ子供もいるかもしれません。

でもその裏に、今まで以上に生きる勇気が損われる危険だってあります。

遠回しに、「お前みたいな弱い人間は生きてはいけない」と宣告されているようなものです。

そもそも、昔の環境と、今の環境を比較して何の意味があるんでしょうか?

物価の違いや、国際情勢も違うし、価値観だって全然違います。

「昔は、今のように教育を満足に向かい受けられなかったんだ!」と言いますが、

そのことを、今勉強に悩んでいる子供に言っても、

「昔は勉強しなくてよかったんだ、俺はそっちの時代の方が羨ましいなぁ」

と思うかもしれません。

昔の苦労を、今の人たちに押し付けるのは全くお門違いな説教です。

それを聞いた子供は余計にムカつくし、生きる気力を失います。

③「やられたらやり返せ!」的な教え

私は昔、友達に泣かされて帰ってきた時、

親から、

「やられっぱなしか?!悔しくないのか?やられたらやり回してこい!」

と言われました。

これは子供には強くあって欲しい、と言う親の願望から来る言葉だと思いますが、

言われている私はけっこう辛かったです。

嫌な思いをして帰ってきているのに、親にまた嫌な思いをさせられる気分でした。

勝てない相手にやられて帰ってきたのに、自分はまたやり返して勝たなければいけない。

やり返したら、また泣かされる可能性だってあるし、

100歩譲ってやり返して相手を泣かせたとしても、その恨みの連鎖はまた続きます。

それって中東とアメリカが、戦争している光景と似ていませんか?

人間の怒りを駆り立てるような、

「やられたらやり返せ」的な教育は、

生涯にわたって、子供を苦しみやすい人格に育ててしまいます。

④兄弟又は姉妹と比較して「お前はダメだ」

誰かと比較されて、自分を否定される事は、とても不快です。

それが、同じ親から生まれた兄弟と比較されて批判される事は、なお傷つきます。

そういう言葉を放った親は、全くそんな事は考えていないでしょうが、

兄弟や姉妹と比較されただけに、

「自分は愛されていない」

という歪んだ信念を植えつけやすくなります。

自分が親から愛されていないという考えが、心の根底にあると、

何事にも自信を持てなくります。

「前向きに生きろ」

と言われてもそんな言葉は届きにくいです。

また兄弟間の確執にもつながるので、

兄弟と比較して否定するような叱り方は、もう子供の心へのテロ行為と言えるでしょう。

⑤「何でもいいから1番になれるものを見つけなさい」的な教育

「1番になりなさい」

の前に

「何でもいいから」と付け加えているところに、

親の優しさがあるのでしょうが、1番になること自体どの分野でも至難の業です。

そんなプレッシャーを子供に与えて、一体何の得になるのでしょうか?

「無限の可能性がある」

とでも言いたいのでしょうか?

確かに人間には無限の可能性はあるかもしれませんが、

同時に限界もあります。

そのことを素直に認めて生きていかない限り、

その人は苦しみやすい人生を歩むことになるでしょう。

1番はなろうと思ってなるものではなく、

結果的に1番になっていた思います。

それも、親から1番になれと言われて、実際に1番になったときに得られる幸せは、

そうそう長く続かないと思います。

そんな期待に応えてたらキリがないですからね。

一体誰の人生だと思っているのでしょうか?

⑥「お前にはお金がかかっている」と言ってしまう

「お前にはお金がかかっている」

親からそんなことを言われたら、プレッシャーだし、何かにつまづいたら自分を責めますよね?

この言葉を口にする大人は、どういう意図があるのでしょうか?

この言葉を放って、子供に反省を促したいのでしょうか?

自分の子供を傷つけたいのでしょうか?

大金をはたいて、大学に行かせたり、留学させたり、

それをして「子供に投資した」と思っているのなら、

仮にその投資に失敗しても文句はいえません。

今後、その子供にお金をかけなければ良い話です。

そもそも、子供を育てることに対してお金が欲しいのであれば、

それは子供に愛情があるとは言えないのではないでしょうか?

お金なんか出さなくても、子供に愛情を伝える事はたくさんできます。

お金を出したことで、子供に見返りを求める時点で、それは無償の愛とは言えません。

恩着せがましさ発言をすると、子供は親に対して余計に不信感を抱きます。

⑦息子に対して「娘が欲しかった」と言ってしまう。またはその逆

私は、両親にとって2番目の子供でした。

上に兄がいるので、私が生まれる時、母親は女の子を期待したそうです。

「私、女の子が欲しかったのよね」

と母親から言われた時、母は悪気は無いんだろうけど、私は結構ショックでした。

「自分が生まれた時、がっかりしたんだ…」

「自分が女の子だったらもっと可愛がってくれたんだろうなぁ…」

だなんて、一人でいろいろ考え込んでしまいます。

幼少期から、自分の存在に自信が持てないと、

何かにつけて自信が持てない人間になってしまいます。

無い物ねだりのストレスを、子供に押し付けるのはやめましょう。

⑧感謝の気持ちを押し付けてくる

これも、

「お前にはお金がかかっている」

と言われる話と通じているのですが、

感謝の気持ちを押し付けられるのは、

とても息苦しいです。

確かに感謝する事は幸せになる上でとても重要です。

どんな些細な事にも感謝できる心を持つこと、

これは幸せの本質と言えるでしょう。

その心を持つだけで、人間関係で敵を作ることはほとんどありません。

ただ、

「お前はもっと感謝できる人間になりなさい」

とか

「学校にいかせてもらってることに感謝しなさい」

だなんて言われると、

子供は「感謝」という言葉自体に嫌悪感を覚えるかもしれません。

そりゃそうですよね、

感謝をダシに自分を否定されてるわけですから。

「感謝できる人間になりなさい」

と言われて素直に受け入れる人は、

ある程度の人生経験を積んだ大人でしょう。

子供の頃にそんなことを強要されたら、絶対に素直にいうこと聞けません。

ウザいです。

感謝することの大切さと言うのは、

大人が態度や行動で示すことが、1番大切なのではないでしょうか?

子供に背中を見せましょう。

⑨宗教の押し付け

私の家は、祖父母の代から某新興宗教を信仰しています。

その新興宗教の教えや、考え方、推奨している生活は、

決して悪いものではありません。

特にお金がかかる宗教というわけでもありませんでした。

ただどんな宗教でも、強要されたら嫌になります。

その宗教は、朝晩「おつとめ」と称して、

神棚の前で正座して手踊りを約20分間、

「拍子木」や「ちゃんぽん」といわれる楽器を使って、信仰の儀式を行います。

子供の頃はよく、その儀式が嫌で拒否したり、不真面目にやったりして父親に怒られたものです。

神棚の前で父親から拳骨を何回も食らいました。

17歳になって、両親から正式にその宗教の会員になるように命令されたときに、

それを拒否しました。

その時に両親から、

「お前はもっと素直になりなさい」

と意味不明な説得をされたのをよく覚えています。

「入らないなら、今後学費や生活費を一切援助しない。出て行け!」

と言われたので、しぶしぶ私は宗教の会員になりました。

それからも、結婚や出産などことあるごとに、

父親から「、神様にお礼を言いに行きなさい」

と言われ、近畿地方にある、その宗教の本部に行かされたものです。

そのうち、宗教に関しては、親の言うことを一切無視するようになりました。

30歳を過ぎて、私がうつ病になったときに父親から言われたショッキングな一言があります。

「不信心な人間は、いざという時に弱いんだ」

「親がやっている宗教を、子供が真面目に引き継がないなんてもってのほかだ」

これを言われてからは、

うつが回復しても、なるべく両親に近づかないようにした時期があります。

両親が、その宗教を大切に思う気持ちはとてもわかります。

私も、今は精神修養としてヴィパッサナー瞑想の修行をすることが、とても大切だと思っています。

ただそんな宗教や哲学を、いくら素晴らしいからといって、

自分の子供に押し付けると行為は全く素晴らしくありません!

信仰の対象があるということは大切なこと、

でもそれが盲目になってしまうととても危険です。

人それぞれ、個性や感情があるので、

その宗教が合うか合わないか?は千差万別です。

その宗教の家に生まれたからといって、

「思想を引き継がなければいけない」

と言う理由はどこにもありません。

信仰の自由を奪う行為です。

それはまさに「精神的な自由」を子供から奪う行為につながります。

私は宗教の批判をしているのではありません。

近畿にあるその宗教は、とても素晴らしい宗教だと思います。

信者が自分以外の人間に、信仰を押し付ける事に対して、痛烈に批判をしているのです。

⑩子供の前で政治批判

これも、信仰の押し付けと通じる部分はあるのですが、

政治的理念が違う人に対して、批判する行為はとても幼稚な行為です。

100歩譲って政治家の人であれば、それがお仕事なのである程度は仕方のない部分はあるのでしょう。

しかし、

一市民が、国会中継を見て

「あの政治家の考えはおかしい、あんな奴は馬鹿だ」

「あの政治家はこの国の事は何もわかっちゃいない」

「あんな奴が政治やってるから、日本がダメになるんだ」

と言ってしまうこと。

あぁ、見苦しい!

そんな親の姿を、子供が見たらどう思うでしょう?

子供からすれば、それはただの悪口です。

「だったら出馬でもしてみろ」と言いたいです。

自分と違う考えの人間を否定する、なんとも幼稚な行為なのです。

その幼稚な行為を自分の親がやっているのです。

子供は親に影響されます。

口を開けば悪口を放つ、イタイ人間になったら、

その子はきっと不幸になるでしょう。

絶対周りの人から嫌われます。

小学校の道徳の時間に、

「人の悪口を言ってはいけない」

と習いましたよね?

そんな人を尊敬しますか?

結論:でも最も大切な事は、本人が精神的に親から自立すること

散々、毒親に対する批判文章を書きましたが、、。

しかし、

なにより大切な事は、

何事も子供の幸せを願うことです。

その心が本物なら、何言っても、何やってもいいのかなと思います、、。

(元も子もないことを言っちゃいました、、。)

子供の幸せを願った結果、

子供が傷ついてしまうこともあります。

多少失敗しても、そのことはきっと子供が気づいてくれるはずです。

また子供のほうも、親から精神的に自立することが大切です。

「親のせいで自分は精神的に自立できない」

と思っているなら、それは100%言い訳です。

親だって人間です。

その時その時の事情があります。

その時ベストな方法を自分なりに選んで、子供を育てているはずです。

何か挫折するたびに、親に責任を押し付けている限り、

幸福が訪れる事は難しいでしょう。

親に腹が立つのは、挫折した本人が、

“親に何かを期待している”からです。

“愛されたい”と思っている裏返しです。

今回の10項目は、

全部私が親にされたことをもとに書いておりますが、

書いていて、

私は本当に親のことが好きなんだなって思いました。

まだまだ、心では甘えてます。

(早く親から自立しなきゃ…)

【親から精神的に自立するためのおすすめ書籍】

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