”人を判断する”と不幸になる ~ブッダの知恵~

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人を判断すると不幸になる!

このブログは人生のどん底を読書で克服した私、

読書セラピストTOMOの体験記と有用な情報を発信していくブログです。

あなたも人生に奇跡を起こす一冊に出会うことをあきらめないでください。

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目次

はじめに

今回も原始仏教の教えをもとに、苦しみから解放される方法について語っていきます。

うつは、読書することで徹底的に消しましょう!

”人を判断する”と不幸になる!ってどゆこと?!

判断することが苦しみつながる。自分への気づきが大事

人の悩みの原因は、

知らず知らずのうちに心の中で

”無駄な判断”

をしていることです。

常に移り変わる諸行無常の世の中において、

人を「あの人は○○な人だ」と判断することは、

苦しみにつながります。

人への判断は、良くも悪くも執着(渇望や嫌悪)につながるので、

悩みのタネになるのです。

そして悩みから解放されるための第一歩の行動として

”判断している自分に気づきを入れること”が重要。

これにより世の中を冷静な目で見ることが出来て、

苦しみの渦から抜ける手がかりを作れるのです。

そして今回はもう一歩踏み込んだ心構えを紹介します。

自分は自分、人は人

これは身に着けるの少しむつかしいことなのですが身に着けた時の見返りがとても大きいです。

それは、自分は自分、人は人と腹を決めること。

誰もがみんな原始仏教の教えを受けているわけではないし、知らない人がほとんどと言っていいでしょう。

だから世の中の人は判断することが大好きで、特に噂話をする人などは判断のオンパレードでしょう。

そんな私も昔は判断大好き人間でした。

しかし、

その余計な判断こそが苦しみを生んでいることに気づいた今は、

判断を極力減らすようにしています。

実社会に出れば”判断大好き人間”に囲まれてしまう・・

そんな私でもやはり職場に行くと判断する人間に囲まれます。

「○○さんって仕事ができないよねえ?」

「○○くんって性格良くないよね?」

などと同調を求められる時があり、世間の判断に流されそうな時があります。

そんな時に大事な心構えが

”自分は自分、人は人”

と強く念じて極力同調しないこと。

「みんなが判断しているから私だって」と考えると、

途端に判断だいすき人間に逆戻りしてしまいます。

ここで流されないためのブッダの言葉

私は、真剣にこれ以上人生で余分な悩み事は増やしたくないと考えています。

そう願うからこそ余分な判断からは足を洗うことが重要なのです。

周りの人間、あるいは自分より目上の人や尊敬している人も、あれこれと事あるごとに人を判断するかもしれません。

でもそこをグッとこらえて判断することをやめる。

これは最初は苦しいことだけど人生を送るうえでは非常に重要な心構え。

ここでブッダの言葉を少し紹介します。

 ”荒々しい言葉を使う人もいるかもしれないが、

私は荒々しい言葉を使わないように努力しよう。

自分の考えに囚われる人もいるかもしれないが、

私は自分の考えに囚われないように努力しよう。 自分を良く見せたがる人もいるかもしれないが、

私はありのままの自分でいよう。”  『反応しない練習』 草薙龍瞬 より

これはブッダの弟子が、間違った思い込みを捨てるにはどうしたらいいか、

とブッダに尋ねた時の、ブッダの回答です。

私が失敗した、人を判断して不幸になった体験談

病院の仕事で患者さんを判断

私は医療系の学校を出て国家資格者として病院で働いている時、様々なストレスにさいなまれて常に胃が痛かったです。

そもそも私は、作業療法士というリハビリの仕事を志したのは、

「人の心を救う仕事がしたい」

という立派な志だったのですが、

そもそも自分の心がグラグラだったので、

人の心を救うどころか、自分に余裕がなかったです。

私は、自分の担当した患者さんを判断していました。

リハビリの進行が順調にいかなかったら、

「それは患者さんが良くなろうとしないからだ」

とか

「患者さんが自分のことを信頼してくれてないから、良くならないんだ」

そんなふうに判断していたので、

リハビリの仕事も苦しいものになっていきました。

リハビリの仕事に就きたいと志した時の、初心はどこへいったのやら、、。

患者さんとの喧嘩や、トラブルも耐えなかったです。

半年も経たないうちに何度「仕事を辞めたい」と思ったことか。

妻を判断

また仕事上の人間関係のみならず、自分の奥さんも判断していました。

奥さんが、自分の話を聞いてくれないことに対して、

「女は自分が喋りたい一方で、男の話を聞こうとしない」

「女はすぐイライラしたり怒ったりする。」

といつ判断を勝手にして、

自分自信の奥さんに対する態度などは棚上げしていました。

なんとも恥ずかしい話です。

もう15年くらい前の話ですが。

職場の同僚を判断

職場の人間関係でも、自分と違う考えの人を「敵だ」と勝手に決めつけて、

自然と冷たい態度をとったり、排除するような発言をしていました。

そんな未熟な接し方をしていたので、私の周りの人間関係も良くなっていくわけがありません。

人間関係ではとても苦労しました。

判断した結果、心は破綻

そんな状況が長年続いてきたので、

強い不安や、深い落ち込み状態が続き、

結果うつになってしまった可能性があります。

うつになって、様々な方面の読書をする中で、「判断する心」というのが執着につながり、

苦しみにつながると言う気づきを得ました。

いろんなことを自分の中で勝手にジャッジして、

先入観や偏見を持って物事に接することにより、

本来は苦しまなくていい苦しみを味わってしまうことに気づいたのです。

良い判断をしていれば良いのですが、

仕事のストレスが重なっている状態が続くと、常に悪い判断をしがちです。

ちなみに良い判断も、悪い判断も執着につながり、

苦しみにつながることには変わりは無いのですが、、、。

判断しない人になれたつもりが、、。

とにかくこのことを知って、人を判断することをやめようと社会に出て実践しました。

しかし人は弱いもので、自分が判断しないと決意しても、

判断する人間に囲まれてしまうとどうしても流されてしまいます。

今度は判断する人間を見て、

「あの人は判断する未熟な人間だ」

とまた自分の中で

「判断する人間のこと悪い人間だ」

と判断してしまっています。

これも立派な判断です。

判断を徹底的に自分の中からなくすためには、1日夜2日では不可能です。

判断した自分に気づいて、そこでまた瞑想をしたり、

本を読んだりして自分の心の在り方を保つように心がけています。

それから3年ぐらい経って、だいぶ「判断しない心」を持てたような気がします。

3年位たっても、「自分はまだまだだなぁ」と感じることの方が多いのですが。

おわりに

私は、少し神経質になりすぎたなと自分で感じたとき、

帰りの車の中でこの「すべててはかない」「ただしい言葉使い、正しい行動、、」などを口に出して唱えるようにしています。

そうすることで、いつでも本来の自分を取り戻します。

自分の心はいつでも自由で独立している状態を保つためです。

これこそがブッダの思考法、原始仏教の教えなのです。

ではでは、 読書するあなたに幸あれ。

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