辛いとき「死亡率100%」を思い出せ!

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このブログは、うつを読書で克服した私、読書セラピストTOMOの体験記や有用な情報を、余すことなく発信していきます。

読書を始めたあなたに奇跡が起きます!

このブログを読むだけだけでも奇跡が起きます!

小林麻央さんのがんの報道は、皆さんにとって大きな衝撃だったと思います。

私もブログを読んで考えさせられます。

今日もそれに関連した記事です。

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目次

はじめに

今日は、誰もが忘れがちな事でとても大事なことを紹介します。

辛くて動けない人、

またやりたいことがあるけど、怖くて行動できない人、

そして死にたい気分に悩まされる人には、是非知っていただきたいことです。

それは、

「人間の死亡率は100%」

であるということ。

辛いとき「死亡率100%」を思い出せ!

10年後も生きてますか?



私たちは、しばしば自分が生きていることは当たり前、

明日も生きていることも当たり前、

10年後も生きていることは当たり前と考えがちです。

たとえ孤独になっても、自分に正直に自分らしい人生を送りたい人は、

再度認識してください。

人間の死亡率は100%であり、

明日生きている保証もないし、

10年後生きている保証はもっとないです。

これは厳然たる事実で、この事実に目を背けて生きていると、

生きているのは当たり前と言う錯覚に陥ります。

そう、今と同じような日常が果てしなく繰り返される感覚と言うのは、実は錯覚なのです。

この錯覚に陥っていると、あれも大事、これも大事とつい良く深くなってしまいます。

そして手に入らないものがあったり、思うようにいかない現実があったりすると、投げやりに生きてしまうのです。

私自身、うつ病になって職場での地位を失い、みじめな思いで心がいっぱいなったとき、何もかも投げやりになりました。

社会に貢献したいけど、自分は貢献できないみじめさ、生きてるんだけど簡単な作業も精神活動もままならない歯がゆさ。

まわりに迷惑をかけている申し訳なさ。

”こんな人生がこの先ずっと何年も何十年も続くのか・・・”

と絶望していました。

この時点でおかしな話です。

完全に自分の命が”20年先も30年先も保障されている”という大前提で考え込んで勝手に絶望しています。

明日死ぬかもしれないし、2週後くらいに死ぬかもしれないという命の概念を無視しています。

まさに「死を忘れている」という状態でした。

「死を忘れる」という錯覚に陥ると、生きていることが苦しみの連続に思えることがままあります。

日に日に欲深くなり永遠の欲求不満状態になります。

ではどうすればいいのか?

死に向かって生きていることを今一度思い出そう


ではどうすれば苦しみの連続から逃れられるのか?

と言うことになりますが、

それは、

「人間の死亡率は100%であり、誰しも必ず間もなく死ぬ、それは明日かもしれない」

ということを、今一度直視すること。

明治大学教授の心理学研究者 諸富祥彦氏は、以下のように具体的な対策を述べてくれています。

こうした錯覚に陥らないためには、日々一瞬一瞬心を込めて生きることが出来たかどうか、振り返る習慣を身に付けることが大切です。

一番お勧めの方法は、毎日一回寝る前に、自分自身に問いかける習慣を持つことです。

夜寝る前に自分にこう問いかけるのです。

「今日一日、心を込めて生きることが出来たか。今日という日の一瞬一瞬に心を込めて、大切に味わい尽くすように生きることが出来たかどうか」

私は毎日床に就く前に、自分にそう問いかけるようにしています。

『嫌われても折れない<自分>を作る101の言葉』 諸富祥彦 著 より引用

私もこの考えを知って寝る前に5分瞑想をやっていました。

とても効果があり、次の日の行動にも明らかな変化が現れます。

今は1時間やってますが。

是非皆さんもお試しあれ。

では話を戻します。

哲学者のマルティン・ハイデッガーは、

「人間は死に向かって生きているということをありありと実感した時に、本来の生き方を取り戻すことができる」

と考えました。

”本来の生き方”というところが肝心です。

代替え医療のオステオパシーの世界では、本来の生き方からずれた生き方をしたとき、人は病になると言われています。

つまり死に向かって生きていることをありありと実感しながら生きることは、

健康で病気にならない生き方をしていると言えます。

また仏教の世界ではこうした考えを”本来心”と言います。

本来心から外れた生き方や行いをする事が、執着にのまれて苦しみの連続を経験し、苦しみから逃れられない生き方をすることになります。

当然病気も、本来心から外れた生き方から発生すると考えられます。

死を意識することは、統合医療や仏教の世界においても切っても切り離せない究極の治療法であり修行法であると言えるでしょう。

”死なないために”死ぬことを考えよう

自分がもしかすると、明日死ぬかもしれないと思いながら生きている人は、

他人の目など気にして生きているヒマなどありません。

他人の目などどうでもよくなり、自分にとって真に大事な生き方、本質的な生き方をしはじめます。

だから今心がモヤモヤしている人、

死にたいと思ってしまう人は、

自分はいつか死ぬことを、再度思い出してください。

明日死ぬかもしれないことを、再度思い出してください。

そうしたら自分らしい生き方、

本質的な生き方ができるようになります。

副次効果として、本来の健康が取り戻せます。

ではでは、今日も読んでいただきありがとうございました。

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