うつから復活したら”ただ何となく生きる”はやめよう!

シェアする

このブログはうつを読書で克服した私、読書セラピストTOMOの体験記を綴ってきます。

またうつに役立つ”生きる技”を出し惜しみなく発信していきます。

皆さんも、自分の人生に奇跡を起こす一冊に出会えることを、あきらめないでください。

スポンサーリンク




目次

はじめに

皆さんこんにちは、今日は日曜日。久しぶりに10時まで寝てしまい、少し体がなまっています。

連日パソコンでこのサイトの引っ越し作業に追われており、やや寝つきが悪くなっています。

平日3時間、休日6時間かけて行っている状態です。

体調には気を付けてパソコンと向き合いたいものです。

さて今日は、うつがある程度良くなた時の生きる目的について少し触れていきます。

今現在うつが強く出ている人も、将来良くなった時の自分のためにも、暇つぶしのためにも読んでみてください。

これからは”ただ何となく生きる”のをやめてみる

私の人生は”何となく”だった

私はうつになって苦しみぬいて、何とか復活してきて今の状態に至るまで、

ただ何となく生きていました。

これは今振りかえって初めて思うことです。

特に発病前はただ何となく、食べるために働いて、ただ何となく幸せになるために結婚して子供をもうけ、そんな人生を良しとしていました。

ただ何となく快楽を得たいために食べて、遊んで、交わって(笑)の人生を送っていました。

そのただ何となくを満たすために、嫌な仕事をこなして、身を粉にして生活していました。

何のために生きる?

そんな時にもし「あなたは何のために生きている?」と質問されたら、

まともに答えられないっでしょう。

苦し紛れに

「生きるために生きてる」

「食っていくために、生活していくために、働くために生きている」

もしくは、

「生きるのに理由なんかいらない」

なんて答えるかもしれません。

私以外でも、多くの人が同じような答えを出すかもしれません。

でもこの「生きるために生きる」「生きるのに理由なんかいらない」と答えてしまうことは、実に”生きる意味”を普段から考えていない、考えたことのない人の答えなのです。

まさに”ただ何となく生きている”ということと同じことなのです。

そのような生き方を否定するわけではありません。

実際にそれでも生きていける人はたくさんいます。

”何となく生きる”をやめたほうがいい理由

ただ、この生き方は少し油断をすると、欲望のままに本能的に生きる生き方になってしまいます。

仏教的に言葉を使えば、

食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の五欲をひたすら満たしていくだけの生き方になってしまいがちです。

欲は満たされたときは快感で、なんとも言えない喜びに包まれますが、

多くの場合どこまでも際限なく欲は続き、完全に満たされずに苦しむことが多いです。

これはどれだけ名誉があって財を手にした人でも等しく言えること。

そのように多くの書籍に書いてあり、研究結果にも出ています。

またこの欲は大きければ大きいほど、嫌悪や苦しみと言う感情につながります

それは2600年前に釈迦が説いていることです。

ただ何となく生きて、欲を満たしている生き方は、人間ではなくても動物でもできる生き方です。

そこに生きる意味も目的もありません。

確かに生きる意味も目的も持たずに生きることも可能です。

それでも生きていけるし、多くの人はそんな生き方をしているのではないでしょうか。

しかし、そんな一時的な渇望を満たし続けるだけの動物的な生き方では、

心の底から満足も安心感も得られないまま、気づいたら人生の終焉になってしまいます。

つまり、なんとなく生きるというのは、生きる意味も目的も無視して生きることです。

いざ何かあったときに、自分の存在価値がわからなくなり、心が折れてしまう人生を繰り返しやすくなってしまいます。

人間は問われている!

ビクトールフランクルの言うように、

”人間は人生の意味を日々問われている”

と言うことを忘れず、問われていることに答えながら、

自分にしかできないこと、自分の使命を意識して生きていくことが、

心が折れずに強く生きていくことにつながると私は信じています。

おわりに

私の使命は、読書を通して人を元気づけて、その人の人生に革命を起こすこと。

元気になる知識、健康になる知識を提供して、ストレスからくる様々な慢性疾患を無くしていくこと。

そのために日々働いて、勉強し続けています。

スポンサードリンク


【関連記事】


スポンサーリンク







シェアする

フォローする