私のうつ闘病記三部作③ ~ある本との出会い~

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このブログはうつを読書で克服した私、作業療法士であり読書セラピストであるTOMOの体験記を綴っていきます。

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目次

はじめに


前回に引き続き、私のうつ体験記三部作の最終章です。

前回はこちら↓

>>私のうつ闘病記三部作② 

今回は最終章ということで、快方のきっかけ、私の人生の節目が綴られています。

※ちなみにこの闘病記に書いてあることは信じなくてもいいです。

全て私が体験したことは事実ですが、私の価値観や出会った本の良さがみんなに共感されるとは思っていません。

参考になる人が一人でもいればラッキーだと思っています。

ではどうぞ。

闘病記

緊張の復職当日。朝礼でみんなの前で挨拶・・。

復帰したのは木曜日と記憶しています。木曜日ということは2日間働けば休めます。
水曜日はしんどいけど、木曜日なら頑張れると思い、
とりあえず2日間乗り切ることで、少し自信が持てるのではという目論見でした。

そして復職初日の朝、前の晩からの不安で睡眠不足になり非常に辛い目覚めだったのを覚えています。
朝起きたらこの世の終わりという感じがしました。

この感覚はしばらく続いたのを覚えています。

朝ご飯を無理やり食べて、車に乗りこみ、運転してもうやけくそでした。

そして、緊張で興奮状態の極限というなか、職場に入りました。

入り口から更衣室までは誰にも会わず、更衣室を出ていよいよ事務所に入ります。

すると、職場の女性チーフが「ああ、良かった。出勤できたのね」と一声かけてくれました。

そしてその他のスタッフも、寄ってきて笑顔で挨拶してくれました。

少しほっとして、緊張も和らぎました。

そこで、女性チーフから言われたことが、

「今日久しぶりに復帰したから、朝礼でみんなの前で挨拶してね」

ということでした。

朝礼で、みんなの前で挨拶なんて、私にとって想定外でした。

心臓も常にバクバクで、いつ精神状態が落ちるかわからない不安定な状態です。

仮にも、医者に「元気です」とウソをついて復帰したので、大勢の前でしゃべることなんて、考えられませんでした。

容赦ない社会の洗礼を受けたという思いでした。

朝礼での挨拶は、何とか適当に言葉を見つけて、

「ご迷惑をおかけしました。またこれから頑張ります!」

みたいなことを言ったのを覚えています。

その時のみんなの目線が怖くて仕方なく、私は怖くて

スタッフの顔を見ることが出来ませんでした。

復職初日の思い出は、朝礼でみんなの前で挨拶をしたという、なかなか衝撃的な経験でした。

「復職したら良くなる」と思ったのが甘かった

復職してしばらくたつと仕事に慣れるのではという淡い期待がありましたが、その期待は全然です。
期待に裏切られ途方に暮れる日々が、そこから長く続きます。

それでも、復職直後ということで、仕事内容簡単なもの、量は7割程度で調整してもらえていました。

その7割程度の仕事でも十分にこなせていなかったのですが、この仕事量が調整されている状態というのも、それはそれで辛かったのです。

周囲から配慮されるのはありがたいこと、それは頭で十分に理解できているのですが、プライドがどうしても許せない。周囲の目が気になる。これは24時間四六時中続きました。

このことが眠剤を飲んでいても、夜に十分に眠れない要因になっていたのだと思います。

休日もそんな自分の中で自分を責める心、恥じる気持ちに攻撃されており、地獄でした。何より、2歳のかわいい息子が「お父さん遊んで」と言ってくるのに、それに十分にこたえられない自分がいるのが辛かった。

その年の職場の忘年会も悩んだ末、出席したのですが、
私に対して一部の人は「本当に大丈夫なの?元気になったの?」と詰め寄ってくる始末。
自分の気配を消すことに心を消耗しました。お金を払って、時間を割いて心を消耗する忘年会は地獄絵図のようなものでした。

本当に”死にたい”と考えるようになり、行動に移す。

2013年の寒い冬、年明けあたりより“死にたい”という気持ちがいよいよ本格的に行動に出てきました。

手首に刃物を突き付けてみたり、眠剤をたくさん飲んで、スカーフをドアノブにかけて首を吊ってみたり、とにかく「楽に死にたい」という気持ちが強かったので、中途半端な自殺方法を沢山、そして毎日試していました。
(※過激なことを書きましたが、すべて事実です。絶対に真似しないでください!)

電車に飛び込んだり、マンションから飛び降りたり、ドアノブではなくしっかりした高いところでの首つりは最終手段くらいのつもりで考えていました。

死にたいという気持ちはウソではなかったのですが、本気で死ぬ気があったかといえば、

今ではよくわかりません。

実際に死なずに、今は生きています。それを良かったとすら思っています。

でも当時は、少なからず、自殺を完遂できた人が、うらやましかったです。

中学生がいじめられて首を吊って自殺したり、電車に飛び込んだりして、ニュースになっていました。当時の私は、彼らがかわいそうというより、自殺を完遂できたことに本当に“羨ましい”という感情を抱いていました。

“自分もいつか死ねる。毎日家族が寝静まった夜に、少しずつ練習をしていればいつか必ず死ぬことが出来る”

この気持ちが精神的な支えであり、次の日もまた次の日も出勤できる原動力になっていました。

ある日の休日、ドアノブに固定されたベルトがそのままになっており、妻に発見されました。

「いい加減にして!何考えてるの!こうゆうことをしたいなら、わからないようにやってよ!」と泣き崩れて怒ってきました。

当時の妻の気持ちを思うと、いたたまれなく感じます。笑えないですね。

職場の後輩。事実上立場が逆転

復職して辛かったのが、周りの元気な人が楽しそうに働いていること。

自分の後輩、かわいがっていた後輩、私の事を慕ってくれていた後輩が、

私より仕事で活躍して、上司に認められている。

私としては、何のために今まで頑張ってきたのか分からない。

後輩が将来自分の上司になることを考えると、悔しくて疎ましくて、もう絶望的な気分になる。
だからと言って、今から自分が頑張れるかと言えば、頑張れない。

仕事がこなせないから、後輩に自分の仕事をカバーしてもらっている状態。

これが悔しくて、悔しくて、もう死にたいくらい悔しかったです。

実際に死にたいと思いましたが。

克服できた今からすれば、なんてちっぽけな事で悩んでいたんだろう?とそんなふうに思います。

長年瞑想をしていれば、自分の人生で何が大事なのかが、わかってくるので職場で競争したり、他人の出世を妬むことが、いかに不条理な事なのかがわかります。

でも当時の私には、そんなこと知る由もなく、それが本当に地獄のような苦しみでした。

暴飲暴食で25キロのストレス太り!

復職してしばらく、自暴自棄になりました。暴飲暴食の日々で夜中にコンビニに行って、焼きそば、おでん、ポテチなどを食べまくりました。

食べているときは幸せで、心が満たされました。唯一の自分に戻れる時間。

おかげで体重は、発病前より25キロ増えました。

「どうせ死ぬから、好きなものを好きなだけ食べよう」
という気持ちが強かったです。

一般的には体に悪くて、ある意味自傷行為に見える行動ですが、当時はこれが私の心の支えでした。

今思うと、必要な時期でした。これが生きる支えになっていたのだから。

暴飲暴食など、ある程度自暴自棄になる時期は必要だと私は思います。

その時は快楽のままの行動ですが、その行為が私の生をつないだのは事実です。自分で切り替えの時期のタイミングを冷静に図ればいい。

私は、暴飲暴食の行為を反省しませんでした。自分に禁止行為を課さないことが、正解でした。

今はしっかり体型も戻り、理想的な体を維持しています。

いつか冷静になって、軌道修正できる時期が来ます。

食べるのが生き甲斐なら、できる限りその生き甲斐を実行したほうが良い。

ちなみに食べる以外では、スポーツ自転車、プラモデル、ラジコンなどなど、お金の許す範囲で今までやりたくて我慢していたことを、実行しました。

マインドフルネス。瞑想人生のはじまり。

その他、私が取り組んだこととして、マインドフルネス心理療法というものがあります。

簡単に説明すると、日常生活の中で湧いてきた感情に気づきの言葉を入れたり、自分の行動を観察し気づきの言葉を入れる(頭の中で)、そして一日30分静かな場所で呼吸法(瞑想)をする。
呼吸法をやっているときはまっすぐ座りながら呼吸を数える。1から10まで数えたらまた1に戻る。

あまりにも職場か辛かったので、心のやすらぎを求めて取り組んだのですが、やはりその時の気分の落ち込み具合などで、できない時もありました。

サボったり続けたり、これを繰り返しながら日々乗り切るという感じですね。

うつ病なのに、むつかしい仕事を任されたり、それを断れなかったり、後輩が自分より活躍するのを目の当たりにしたり、そんな時の悲しみ苦しみをマインドフルネス療法で何とかやり過ごす。

マインドフルネスをやっているときは、

「こんなことして何の意味があるんだ?」

「座って瞑想なんて辛いだけだ!」
なんてことも頭に浮かび、マインドフルネスに対する疑念もありました。

でも、今思えば長く続けていてよかったと思います。

マインドフルネスは、薄皮をはぐように徐々に、ゆっくり効果を表します。

瞑想は、ヴィパッサナー瞑想として今も継続しています。
>>ヴィパッサーナー瞑想合宿体験記
>>ヴィパッサナー瞑想で得た、たった1つの真実。

あの時にマインドフルネスに出会ったことが、今現在の瞑想の習慣につながっており、

そして、ここ一番の行動力につながっています。

人生の転機、一冊の本に出合う。

それでも、仕事が辛くて、疲れ切った仕事帰りに、ラーメンをドカ食いしたり(妻がご飯を作って待っているのに・・・)、家電製品を衝動買いしたり、ふらふらしている時期がありました。

どうしても、仕事が辛い、人間関係も仕事内容も辛かったです。

年齢的に、職場で求められることも、高度でつまらないもの、ワクワクしないものでした。

とにかく仕事が辛い、生きるのが辛い、うつ病が辛い、そんな思いで仕事終わりに自暴自棄になりながら、ふらっと立ち寄った本屋さん。寒い1月の夜でした。

そこで、いつもよくいくコーナーの心理学、哲学、精神世界のジャンルの棚。

一冊の本を手に取り、開いて目次を読むと、その文章が妙に頭に入ってきて、ついつい内容を読み進めてしまう本がありました。

仕事が辛い、生きるのが辛い、うつ病で先が見えない、そんな私の人生に一筋の光を与えてくれる内容でした。

その本の名前は、

『天職がわかる心理学』   心理カウンセラー 中越裕史 著

この本の内容は、仕事が辛くて人生思い悩んでいる人に、天職を見つけることで充実した生き方を勧める本です。

テーマは「天職」ですが、私にとっては、“後悔しない生き方”を送るための指南書です。

特に、私が衝撃を受けた、印象的な目次の文章は、

・仕事を楽しんでいる人生が一番モテる
・「今の仕事で頑張ればいい」の罠
・10年後、幸せになれますか?
・あえて人生を棒に振ってみる
・まずは楽しむことから始めてみる!
・人生の変え方を覚えよう!
・やるんだったら三流を目指せ!?

『天職がわかる心理学』 中越裕史

どの項目も、読んでみると率直で真理をついている文章で、当時の私の常識をぶち壊すものばかりでした。

この本を読んで、直感で悟りました。
うつになった原因、それは“これまでの生き方に無理があった”仕事のストレスで、不健康な生活に逃げていた。

それが自分のみならず、家族にも影響を与えていた。

おそらく妻が流産したり、妊娠中に病気になったのも、何か私の生き方が少なからず影響していたのだと思いました。

病気になった自分の父親に、あまり優しくできなかったのも、どこか自分の働き方、生き方が間違っていた。そんな風に思いました。

本の中には、こう書いてあります。

”働いている僕たち自身が、自分の価値観で「自分の仕事には意味がある」と思えることが幸せに働くために必要です。”

『天職がわかる心理学』 中越裕史

私は、意味よりいかにたくさん給料をもらうか、そういうことばかり考えていました。
もちろん、そういう考え方もアリだと思いますが、それだけではモチベーションが保てない時期が必ず来ると思います。

また、著者の中越先生は、精神科医のビクトール・フランクルの考え方を、多くの著書で紹介されており、私も『天職がわかる心理学』を入り口に、ビクトール・フランクルの心理学、人生哲学を学ぶようになりました。

私のブログ記事でも、フランクルの考えはたくさん参考にさせてもらっています。

その考えを基に、この本ではこうも書いています。

“自分の仕事に人生をかける価値があると思っている人は、ほとんどあらゆる辛さに耐えることが出来るでしょう。”

『天職がわかる心理学』 中越裕史

この言葉は、当時この先どう働こう?と途方に暮れている私に、とても勇気を与える言葉です。

もちろん、今の活動の参考になっています。

その他、天職を見つけるコツ、失敗を恐れないコツ、などが本の中で紹介されており、当時の私にはとても頭に入り込みやすい内容であり、いい意味で衝撃を受けるような内容でした。

少しずつだが、確実に人生が動き出す。積極的な自分を取り戻す。

私の人生が好転し始めたのは、そこからです。
仕事帰りに、力なくふらっと本屋に立ち寄ったことが、きっかけでした。

その後少しずつ、当時飲んでいた抗うつ薬テトラミド(うつの薬というより眠剤として服用)、そして眠剤を医師に相談しながら減らし、数か月後には断薬に成功しました。

そこから2日に一冊のペースで、いろんな本を読みました。

フランクルの本や、アドラーの本、働き方の本、人生哲学の本、幸せに働いている人の本、

非常識を勧める本、仏教の本、どれも今の生き方の参考になっています。

自分の人生に革命を起こす一冊の本に出合うと、それに少しでも関連する本が、とても頭に入りやすく、読んでいていきいきした気分になれます。

心理学に関しては、勉強が高じて心理カウンセラーの資格を取得しました。
中越裕史先生と同じ団体で勉強しました。

心理学講座は、とても楽しかったですし、感動あり、涙あり、仲間もできました。

もちろん、当時苦しかった仕事も、心の軸が出来たせいか、それほど苦痛に感じなくなり、
休まずに懸命に働くことが出来ました。

私の目標は、

人の心に寄り添える、治療院を作る。
じっくり人の心と関わりたい。

これが私の天職。

そもそも私は、なぜ医療業界に入ったかと言えば、まさに人の心と体を癒せる仕事がしたいと思ったから。

高い給料をもらうために、妥協して職場を選ぶ生き方から、軌道修正しました。

つまり原点に返ったのです。

そして、生き方、勉強の仕方を見直し、現在は、

整体や統合医療、薬膳や栄養学を懸命に勉強し充実した、生活を送れるようになりました。

またどんなに忙しくても、読書の習慣は欠かしていないので、日々気づきや感動があります。

復職から3年後、学業と夢の実現の準備のため、職場を退職し、現在は非常勤と勉強、フリーランスのトリプルワークの生活。

私はこうして、現在の生活に至ります。

辛くなったら、

・人生の意味に沿って生きているか?

・楽しんでいるか?

・“慈悲喜捨”の精神で“一隅を照らす”ような生き方が出来ているか?

・常識にとらわれていないか?

そんな風に自分に問いかけて、生きるようにしています。

また、自分が書いたブログを自分で読み返して、元気をもらうことがあります(笑)

長い長い文章、つたない文章の三部作を読んでいただいて、ありがとうございました。

おわりに

今回のブログで紹介した本は、『天職がわかる心理学』でしたが、私にとってこれが何より回復のきっかけ、人生の節目に大きく影響した本に間違いありません。

私にとってはこの本が、奇跡の一冊と言える本でしたが、これは人それぞれ違うと思います。

一冊の小説の主人公の生き方が、人を奮い立たせたり、食育の本が読んだ人の人生をガラリと変えてしまうこともあります。

どんなジャンルでもいいし、特に歴史に名を遺した文学者や心理学者の本じゃなくてもいいです。中小企業の社長や一サラリーマンの本でもいいです。

大事なのは、その人にとっての奇跡の一冊にまず出会うこと。

奇跡の一冊出会えば、その人の読書人生にエンジンがかかり、その人の人生も充実に向かい加速します。

奇跡の一冊に出会うことで価値観が変わるし、夢だって持てます。

人生かけてもやるべき何かを見つけた人は、大抵どんな困難にも耐えられるのですから。

あなたも人生に奇跡を起こす一冊に出会えることを、あきらめないでください!

※このサイトのおすすめ本はコチラ!

長編ブログ三部作、これで終わります。
いかがでしたか?
読んでいただきありがとうございました。

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