わかりあえない人に無理に求めたりすると、心が疲弊していきます!
たとえ親子の関係でも、、。
このブログはどん底を読書で克服した私TOMOの体験記を綴っていきます。
今日も皆さんが奇跡の一冊に出会えるよう願っています。
目次
わかりあえない人とは、たとえ親子でもわかりあおうとするな!
あなたの周りのわかりあえない人
みなさんの周りに、自分とわかりあえない人はいますか?
自分と考えが合わない人、言動や行動が理解できない人はいませんか?
私はいます。 職場の上司や後輩、そして実の親ともわかりあえない関係にいます。
以前はそんな状態が受け入れられずに、後輩や親にいろいろ求めていました。
”相手のため”だとか都合のいいように大義名分をつけて。
その結果非常に苦しみました。
精神的に追い込まれている人に限って相手に過剰に期待をする
精神的に追い込まれる人というのは、
「どうしてあの人は自分のことをわかってくれないのか?」
とつぶやく人が多いです。
特に20代や30代は自分の上司や親に、自分の状態をわかってくれて当然と思い込んでいる傾向があるそうです。
そしてわかってもらえないと分かった瞬間に、一気にやる気を失ってしまう。
適切に仕事をこなせなくなる。
正しいことが出来なくなる。 ストレスの発散行為に走ってしまう。
このように相手に過剰に期待してしまうことは、落ち込みやすくイライラしやすい人、また若い人にありがちなことです。
そもそも人間はわかりあえないように出来ている
わかりあえないのは当たり前!
無理にわかりあおうとすることはとても無駄なことです。
、、と言うのも人は本来、 わかりあえなくて当然の動物だからです。
自分に近しい存在であるほど分かり合えないもんです。
むしろ一瞬でもわかりあえる瞬間があったなら、それはとても幸運な事。
それが現実です。
それにもかかわらず、上司や親からわかってもらいたい。 認めてもらいたいと思うことは、 実は非常に精神的エネルギーの無駄使いなのです。
これでは無駄に自分を追い詰めてしまいます。
ここで一つ勇気を持つことです。
ここでも”捨”の心!手放す勇気、許す勇気!
”わかりあえない人とは、わかりあえなくていい”と言える勇気。
理解されたいという思いを手放すこと。
理解してくれる人だけ理解されればいい。
そんな人が一人でもいればラッキーと思う。
わかりあえない人は”そのまま”にする。
この勇気を持つのに、私は大変時間がかかりましたが、
そんな勇気を持てた時、私の人生は好転しだしました。
正確には持とうと思った瞬間から、人生が好転しだしました。
親しき中にも離別感
一体感を持つことが日本の社会では求められがちですが、 真に自分らしく、人間らしく生きようと思ったとき、一体感よりもむしろ”離別感”が必要です。
それは自分は自分であると思うと同時に、” 他人は他人”であると認めること。
そしてその他人は、その人なりに”人生を懸命に生きている”ということを認めること、それが正しい離別感を持つことにつながります。
自分を、そして相手を大事にしようと思ったら、
”親しき中にも離別感”
この言葉を思い出してください。
おわりに
わかりあえない人とは無理にわかりあおうとしないでください。
そうすると、とんでもない見返りが、
この先もずーっと、得られるかもしれませんよ。
ではでは。
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