生きる意味について考えませんか?

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生きる意味について考えると、強くなれる?!

この記事では、生きる意味について考えること、

本質的な生き方をするには、どうすればいいのか?

について語っていきます。

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目次

はじめに

生きる意味ってあるのかなぁ?

そう感じることってありませんか?

辛い状況が毎日続いている時、努力が全く実らなかった時、

「なんで親は、私のことを生んでしまったんだ!」

うつを経験した私は、そんなふうに自分の存在を嘆いたことがあります。

幸せなときって

「生きる意味」があるのか?ないのか?

について考えることはあまりないですよね。

生きる意味を疑うときは、

大抵人生がうまくいっていないときです。

生きる意味について、何らかの答えを自分なりに持っていると、

辛い境遇を抜け出せるかもしれません。

辛い境遇を抜け出せる手段を知っていたら、

いろんなことにチャレンジできるし、

人生をもっと充実したものに出来るかもしれません。

今回は、ヴィクトール・フランクルの言葉にならって、

生きる意味について考えていきたいと思います。

個人的には、

生きる意味について考える経験をした人は、その後、

図太く、

しぶとく、

深く、

面白い人生

歩むことになると思います。

生きる意味

生きるのは辛い、なぜ生きる?

人生楽しいことが続いていれば、こんなことは考えることはないでしょう。

何も疑問に思わず「生きるって最高!」って思えたりもします。

でもでも、人生そう楽しいことばかりではありません。

給料が下がって生活が苦しい人。 恋人に振られて、絶望的な気分の人。

毎日会社で上司に怒られている人。

朝8時から働いて帰りが毎日午前0時を過ぎてヘトヘトな人。

流産やわが子に先立たれた人。

そんな辛い辛い出来事が立て続けに続いたりして、

怒りや悲しみに暮れている人は、

”生きるのが辛い”

と感じてしまった事があるのではないでしょうか?

そしてその先に

”こんな辛い思いまでして、この先何のために生きるのだろう?”

とか ”こんな自分の人生にこの先何が期待できるだろう?”

と考えてしまいます。

そう、生きる意味すら分らなくなってしまう事ってよくある話だと思います。

では、

どんな時に生きる意味を感じられて、

どんな時に生きる意味を見失いがちになるのでしょう?

そして、どのように乗り越えればよいのでしょう??

生きる意味を感じられないときとは?

辛い状況にあるとき

学校でいじめられたり、職場に理不尽なパワハラにあったり、

辛い思いをしているときは、呼吸をするのも辛いものです。

何も悪いことをしていないのに、

「もしかしたら私が何か悪いことをしたのか?」

そんなふうに疑心暗鬼になったり、

自分自身を責めてしまうことだってあります。

学校でいじめられた経験があったり、

また職場でも理不尽なパワハラにあっている人は、

生きている限り辛い思いをするのでは?

という妄想に陥ってしまいます。

私も、中学校でいじめられているときは、

毎朝目覚めるたびに、

絶望的な気分になっていました。

また就職して、毎日夜12時近くまで働いていた時は、

「死んでしまえば楽になれるんだろうなぁ…」

だなんて考えたものです。

努力が実らなかったとき

何かに向かって必死に勉強した時、

そして何かに向かって生き死に努力したとき、

その先に希望があるから頑張れますよね。

希望は行動の原動力になります。

少々疲れていたり、眠らずに頑張って勉強したりするのも、

その先に希望があるから、幸せな人生が待っているから頑張れるものです。

ところがどうでしょう、

その努力の結果、希望する大学を不合格になったり、

また努力に努力を重ねて会社のために尽くしてきたのに、

出世競争から外れてしまったり、

人生には、そんな酷いことがたくさんあります。

現実的に、努力したからといって、

結果がついてくる保証なんてありません。

結果がついてこずに、心も体も疲弊しますした時、

「自分には生きる意味があるのか?」

だなんて思ってしまいがちです。

こんなに頑張ったのに、何の役にも立たなかった。

人のために心血注いで頑張ったのに、

むしろ裏目に出てしまった。

夢破れて、心身ともに疲弊しているとき、

生きる意味が、わからなくなってしまうものです。

命の儚さを目の当たりにしたとき

身近な人が、亡くなってしまったとき。

または有名な人やトップスターと言われる芸能人の訃報を知ったとき。

命の儚さを感じてしまうものです。

誰かの訃報を聞いて、

自分に照らし合わせることも多々あるでしょう。

そんな時、

「どれだけ立派に生きても、死んでしまったら全て終わり」

「死んでしまう事は、不幸なこと、負けること」

そんなふうにネガティブに考えることもあります。

「どうせ死んでしまうのに、必死に生きる意味なんてあるのか?」

たしかに、

どれだけ努力してお金持ちになって、高い地位を築いても、それは墓場まで持っていけないもの。

だったら生きることなんて虚しいこと、

生きる意味なんて感じられない。

そう思えてしまうことも人生にはあります。

生きる意味を感じるとき

幸せを感じているとき

初めて恋人ができたときや、初めて我が子が生まれたとき、

幸せの絶頂にありますよね。

そんな時は、

「生きてるって素晴らしい」

と何も疑わずに自然に思えるものです。

また、志望校に入れた時、入りたかった会社に内定が決まった時、

自分の人生が思い通りになっているときは、

生きる意味を感じやすいでしょう。

それは、

“神様が自分に味方してくれている”

と思えるからでしょう。

自分は幸せになるために生まれてきた。

そんなふうにに自然に思えるようになった時、

生きる意味を見失うことなんて、ありえないでしょう。

仮に過去に自分が大きな挫折を経験して、

生きる意味を感じられなかった経験があったとしても、

後にいいことがあると、

そういうものは全てチャラになります。

「あの経験があったから、今に至ってるんだ」

と人生に意味付けをできて、

より

“自分の人生には意味がある”

“生きる意味がこれからもあるんだ”

と強く思えることでしょう。

世のため人のために、何かをなしえたとき

「世のため人のために、何かをしたい」

「社会貢献をしたい」と志し、

その努力が実ったとき、

“自分はこれをやるために生まれてきた”

とありありと実感できるでしょう。

アドラー心理学では、

人生の道標として「貢献感」というものが重視されています。

貢献感を感じることこそが、共同体感覚を得ることになり、

自分が「生きる意味」を実感することにつながります。

そして、充実した人生を送れるのです。

多くの成功者が、引退した後に多額の寄付をしたり、

ボランティアをするのも、

この貢献感を得るために行っているのかもしれません。

いくらお金があっても、貢献感を感じることができない人生は、

虚しい人生だという現れでしょう。

世のため人のために、

何かをなしえて貢献感を感じている時、

自分の生きる意味など疑う事は、

まずあり得ません。

命の儚さを目の当たりにしたとき

命の儚さを目の当たりにしたとき、

生きる意味を失ってしまう人思いますが、

逆に生きる意味を見いだす人思います。

それは「人間の死」というものを、

ネガティブに捉えるか?

ポジティブに捉えるか?

の違いだと考えられます。

死ぬことをネガティブにしか捉えていない人は、

「死んだら全て終わり」

「人間は死に向かって生きているのだから、

生きているときに、どんな努力をしてもそれは無意味なのだ」

そんなふうに決めつけがちです。

しかし死ぬことをポジティブに捉えている人は、

「どれだけ辛いことがあっても、人間には等しく死が訪れるのだ。

だったら限られた時間、やれることをやろう」

「明日死んでも後悔しないように、今日一日をど真剣に生きよう!」

そう考えれるようになってから、

本当に自分がやりたいこと、

そしてやるべき事は何なのか?

常日頃考えられるようになり、

自分の人生の使命に沿った、

“本質的な生き方”

が出来るようになります。

「命の儚さ」も捉えようです。

命の儚さを知ることで、

自分はこの人生で何をすべきか?

本当は何をしたいのか?

自分が人生から問われている事は何なのか?

そのように考えられるようになった時、

きっとその人は、

「自分には生きる意味がある!」

いや、もしくは、

「生きる意味を今から作っていく!」

という考えになっていくでしょう。

生きる意味を問いてはいけない

フランクルの言葉

生きる意味を見失った人、

生きる意味を求めてやまない人に、

オーストリアの精神科医であるビクトール・フランクル氏はこう言います。

”人生に何を期待出来るかを説いてはいけない。”

”人生が人間に問いかけているのである”

それは”人生の意味”を。

我々は問われている

人間の方から人生に何かを期待しているうちは道は開けないということ。

どんな出来事でも人生から自分が意味を問われているのだと考える。

人間はその問いに答えていくだけ。

そんな生き方をしていると、

本当の自分のミッション(人生でやるべきこと)が見えてくる。

きっと、落ち込んだこと、うつになったこともすごく意味があること。

おわりに

うつもあなたを奮い立たせる人生からの問いかけかもしれません。

いや、きっとそうです。

どんな悲惨な境遇でも、

そのことだけは、忘れないでほしい。

今回はこんな事を伝えたかったです。

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