壮絶!不妊治療体験記① ~流産、不妊外来、体外受精の決断まで~

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

私たち夫婦は過去に不妊治療や妊娠中の病気で子供を無くすという、妊娠にまつわることで辛い体験をしました。

そのことについて、体験記として三部作にまとめます。

はじめに。体験記を書こうと思った理由

私はうつ病を経験して読書をすることで復活し、楽しい毎日を過ごせているわけですが、うつ病になる前までに様々なことを経験しました。

不妊体験や不妊治療体験、流産や病気による胎児の堕胎も経験しました。

今までのブログの中で時折触れてきましたが、やはり目をそらしていた部分もありますし、

このまま夫婦間のタブーにし続けることは、人生にとって良くないし魂の成長を妨げることだと思うようになりました。

うつ病の発症とはどうしても無関係と言い切れない部分でもあり、これらの過去のとらえ方を整理することで、今後うつ病にならずに、むしろ豊かな人生を送れることにつながると考えています。

私たち夫婦の壮絶な体験、そしてなぜそれがうつ病にまでなったのか、そしてどうやって乗り切ることが出来たのかを皆様にお伝えすることで、不妊で悩んでいる方や流産や死産で深い心の傷を負っている方々のお役に立てればと思っております。

幸せな結婚式から子供が欲しくなるまで

私たち夫婦は約10年前に結婚し、結婚式は南の島の海の見えるチャペルで挙げました。お互いあまり大勢の人に祝福されるのが苦手な性格なので、挙式に参列したのはお互いの両親のみ。

小さな幸せを大切にするカップルでしたので、南の島で挙式をできたことは一生の贅沢でした。

結婚後は私が転職したばかりで給料が安いということもあり、夫婦共働きで忙しい毎日を送っていました。週末に外食することや日曜日の朝に喫茶店でモーニングすることなどが、ちょっとした幸せで私たちにとっての贅沢でした。

2人だけの時間も幸せだったのですが、やはり2人ともそれなりに大きな企業に勤めていたということもあり同世代の同僚が子供を産んだり、家を建てたりなどそんな話題が耳に入ってきます。

週末に外食したり、年に一回一泊の旅行が出来るだけでも幸せな新婚生活でしたが、やはり徐々に子供を持つことに対するあこがれが芽生えてきます。

子供を最初に持ちたいと思い始めたのは、夫である私の方でした。妻はいつか作るつもりではあるが、しばらく(数年)は2人で過ごしたいという考えでしたので、すぐに作ろうという話にはなりませんでした。

しかし、私自身が現状の幸せに満足できず、子供に対する執着が強く妻に懇願して、結婚一周年を迎えたあたりから、子作りを開始することになりました。

正直言うと、私が当時仕事を楽しく思えなかったのが子供を欲しがる一因になっていたのです。職場での競争の雰囲気に耐えられず、子供をつくることで癒しを求め、そして子供を持つことで職場や世間からの承認欲を満たしたかったのかもしれません。

これは決っして、純粋な動機とは言えないかもしれません。親になるっていうのはそんなに軽い動機であってはいけないと今はつくづく感じます。

でも案外みんな、そんなものかも知れませんがね。当時の私の場合、執着が人より一層強かったのだと思います。

妊娠したが、幸せは長くは続かず

そんなかたちで始まった私たちの子づくり計画、排卵日付近を予測してタイミングをはかります。私たちは子供はすぐできると思っていました。一回でできると本気で思っていました。

皆さんも同じように考えていたかもしれませんが、子供をつくることがこんなに難しいこととは思いもしませんでした。

3か月連続で生理が来たあたりから、私の中で少し焦りのようなものを感じ始めました。今思えば我ながらなんて気が短いことだろうと思います。

子供を作り始めたあたりから、勝手に女の子と決めつけて名前も考えていました。2人そろってなかなかの浮かれっぷりですね。

妊娠しないまま子作りをし続けて、約一年経過した頃でした。

「次出来なかったら、一度病院で受診をしよう」

夫婦でそんな話をしていた時です。その周期の生理がまだ来ていませんでした。そして妊娠検査薬を試し、初めてうっすらとですが陽性反応が出ました。

ちょうど別のことで夫婦喧嘩をしていた時でしたのですが、そんなことは忘れて夫婦で大喜びで大はしゃぎ。

嬉しくて舞い上がって夫婦でお祝いをしました。私なんかほんとに気が早くスーパーにアワビを探しに行ってしまったくらいに舞い上がっていました。

それからの生活は、毎日がキラキラしており朝の目覚めも良くなり、仕事も楽しかったです。

妊娠発覚直後に上司に報告までしました。

ところが、そんな生活は長くは続きませんでした。

妊娠が発覚して2週間くらいのとき、少量の出血がありました。

慌てて2人で病院に行き、エコーで赤ちゃんを確認、まだ心拍も確認されていない時期でしたので、先生もなんとも言えない状態でした。とりあえず2週間後に再度来院をとの指示。その間安静にということも言われました。

私は心配でいても経ってもいられませんでした。もっと夫の私が冷静さを保たないといけないと思ったのですが。

そして2週間後の受診にて、妊娠8週においても心拍が確認されず、赤ちゃんの成長も確認されず、「今回は流産していますね」と告げられました。

「この時期の流産は遺伝子の問題でよくあることなんです」とのこと。

妻は帰りの車に乗るまでの駐車場を歩くのもつらそうに、泣いて泣いて悲しみに暮れていました。私も辛くて泣けてきました。ちょうど雨がザーザー降りの暗い天気の日でした。

<関連記事>

流産や死産はママが悪いんじゃない。流産で苦しんでいる人へ。 

流産を経験や、後輩たちの妊娠で余計に焦る

2人とも職場に妊娠の報告をしていたので、報告したした同僚に今度は辛い報告、返す言葉に困っている同僚を見るのも申し訳なさと、みじめさで心がいっぱいになったのを覚えています。

そのあたりから、妊娠や出産ということについて、少々神経症的に反応するようになってきました。

流産の経験をして深く傷ついて、1か月休憩して再び子作りを始めました。子供を持つことに対する執着が一層強まったのです。

しかし2回3回試してもなかなかできない。そして自分たちより後に結婚した職場の後輩夫婦が次々と妊娠していきます。そんな報告を聞くたびに「おめでとう」と言いつつも心では深く落ち込んでいました。

さらに辛かったのは、職場の同僚やクライアントから「まだ子供作らないの?」とか「そろそろ子どもが出来てもいいよね?」と何気なく聞かれることでした。

ひどい人では「いつまで子供をつくらないつもりだ?」「あなたがへたくそなんでしょ?」などと信じられないことを言ってくる人も平気でいました。

私たちが流産をしたのを知ったうえで聞いてくる人もいたので”悪気があるでは?”と疑心暗鬼になったりもしました。

正直、仕事に行くのが辛かったです。

誰かが結婚したりすると、おめでとうの気持ちより「また追い越されるのでは?」という心配の方が勝っていましたし、そんな自分が小さく思えて情けなくてどうしようもなかったです。

しかし自分でもコントロールできませんでした。

夫婦仲もギクシャク、そして不妊外来へ

月経が来るたびに絶望的な気分になり、落ち込んでる私の姿を妻が見て妻も苛立ちがあったようです。夫婦仲は少しずつ悪くなってきました。

このころ私が落ち込んでいた理由は、子供が出来ない事自体に落ち込んでいたというより、職場や親せきに対して体裁が悪い気持ちの方が大きかったです。

妊娠しないことに対して妻に責任があると、心のどこかで思っていました。おそらく職場や親せきの人間関係が無ければ、もう少し腰を据えて考えることが出来たでしょう。

やりきれない気持ちを紛らわすために、無理にマラソンしたり贅沢な旅行に行ったり、ドカ食いしたり、夫婦そろってお金を使っていましたね。

今思えば体に負担をかける行為で、妊娠から遠ざかる行為でしたが、健康意識のかけらも無い私たちでしたので抑制がききませんでした。

今思えばこのあたりから、数年後にうつ病を発症につながる入口に差し掛かっていました。

流産して再度妊活を始めて約半年、2人は不妊治療の外来の門をたたく決心をしました。

最初は一般病院の婦人科に相談して、漢方と排卵誘発剤の処方を受けてタイミングを図ることになったのです。

排卵誘発剤とは卵巣に働きかけて、普通では月に1個しか出ない卵子を複数出ることを誘発して、妊娠する確率を高めるものです。妻に処方された薬は確かクロミッドという名前の薬でした。

この薬の影響により、複数の卵子に受精して着床する二卵性双生児を妊娠する可能性が高まると言われています。

私たちはそれで双子を妊娠できたら、こんなうれしいことは無いと考えていました。双子でもいいし、そうでなくても妊娠率が高まることを期待してチャレンジしました。

ところが一回目、少し周期が遅れましたが普通に生理が来てしまいました。

寒い冬の朝、起きたら妻より「生理来ちゃった」と報告を受け、私は朝から「えー・・・!」と大きく落ち込みました。その姿を妻が見て「もう!そうやっていちいち落ち込まないでよ!」と泣きながら怒鳴ってきました。

今思えば辛い思いをさせてしまったものです。私の存在が妻にとってプレッシャーであり大きなストレスとなっていたことでしょう。妻自身「夫の喜ぶ顔が見たい」「期待に応えたい」との思いが強かったようで、うまくいかないジレンマに苦しんでいたようです。

クロミッドを使って3周期目、妊娠せず生理が来てそこで少し異変がありました。

いつもより血の量が少ないのです。ネットで調べたらクロミッドの副作用として子宮内膜を薄くしてしまう作用があるとのこと。そのことで子宮内膜が月一回剝がれて起きる月経時の血液が少なくなるとのこと。

それはつまり子宮内膜の厚みが減り着床しにくくなることを意味します。先生に相談したら、しばらく治療を休憩することを勧められました。今の状態でたとえ妊娠しても流産する可能性が高くなるからでもあります。

焦ってる私たちにとってこの時期の休憩は痛手であり、当然治療の休憩はしたものの妊活自体は継続しました。

<関連記事>

うつ病と酵素 ~知っておきたい酵素のチカラ~ 

不妊と薬膳 ~治療に頼らず不妊を克服~ 

最悪な検査結果で体外受精を決意

その後治療を再開し、病院は不妊専門のクリニックにかかり人工授精を3回実施後も結果が出ず。専門クリニックで様々な検査を再度実施しました。

精子検査をする際や人工授精をする際に、精子の採取をしたりしたときは「まさか自分がこんな検査をする日が来るとは・・」なんてしみじみと思いましたね。

ちなみに検査結果は精子はやや少なめだが、自然妊娠できるギリギリのライン。

フーナーテストという膣内で射精後の精子の数を調べる検査は、精子の数9匹。しかしその9匹の精子は全て死滅しているという結果でした。

なんとも悲惨な結果でした。この結果になった原因を医師に聞いてみたところ、

「原因はわかりません。お2人の相性などもありますし・・」

という返事だった。

”原因不明”ということで、また出口のないトンネルに入った気分になり、”2人の相性”と言われると、とにかく悲しいやりきれない気分になりました。妻なんかは大泣きしていました。

その出来事がきっかけで、人工授精よりさらに高度な治療にステップアップする決心をしたのです。

>>女性ホルモンを増やして妊娠体質を目指すならコチラ。

<関連記事>

自律神経を整えてうつを治す食事 

不妊とうつと肌荒れと ~肌を大事にすれば人生が変わる~ 

不妊は辛い。でも体質改善は始める絶好の機会だった。

おわりに

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

私たち夫婦は、不妊治療を経験し出産、再度妊娠をめぐっては壮絶な体験をしました。

この経験によって夫婦仲が最悪になって、結婚した当初のお互いへの思いやりを忘れて、無慈悲な言葉の暴力を妻に吐いたりもしました。

今思えば心が病んでいた。いやそんな言葉では片づけられないほど生き方が誤っていたのでしょう。

でもこのような経験をしてうつになって、死にたいくらい苦しんだその意味、それを今は考えるようにします。

癌やうつ病の経験でも、その経験に意味づけすることによって、心が救われる時があります。

その意味が見えてきたとき、その人生は前向きに再開し始めます。

では体験記の続きをぜひ読んでください↓

>>壮絶!不妊治療体験記② ~出産、2人目妊娠、静脈血栓・・・~ 

【関連書籍】

【おすすめ情報①】

うつ病克服の基本は良質な睡眠です。

6のリラックス成分配合の

副作用無しの自然に近い睡眠サプリが強い味方。

>>レビュー記事はコチラ

【おすすめ情報②】

うつのあなたは冷えています!

高麗人参ののサポニン効果をもつ田七人参のサプリで体質改善!

うつ冷え人生にサヨナラしませんか?

>>レビュー記事はコチラ

【おすすめ情報③】

うつ克服にはセロトニンを増やすことも大切、

セロトニンは多種多様な乳酸菌が腸に存在しないと作られません、

種類の乳酸菌配合の乳酸菌サプリでセロトニンチャージ!

>>レビュー記事はコチラ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. より:

    最終的に出産出来たのなら、別に壮絶ではないのでは。

    • tomo より:

      確かに何年も不妊に悩まれて、出産に至らない夫婦の方もいらっしゃいます。しかし私たち夫婦にとって流産や体外受精、そして二人目妊娠の際の血栓症に伴う胎児堕胎などの体験は非常に辛く大変な経験でした。
      そのような意味で、「壮絶」とつけさせていただきました。